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カテゴリ:田村隆一( 3 )

111.続続・田村隆一詩集

111.続続・田村隆一詩集



木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空に返すはずがない

若木
老樹

ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光のなかで
目ざめている木はない


ぼくはきみのことが大好きだ


 この詩が収められている詩集『水半球』は、1980年、田村が57歳のときに出されています。さて、この詩集が刊行される前年、1979年に、田村は西脇順三郎について、篠田一士、鍵谷幸信とともに、「諧謔と幽玄の哀歌」という対談を行っています。そこから引用します。

篠田 そうなんだ、つまり吉田一穂とは違うのよ。
田村 ありゃだめよ。
篠田 いや、だめじゃないけど、吉田一穂は固執しないとわからないし面白くない。固執させることによって詩的言語を確保したんだから。
鍵谷 それは意味あることでね、吉田一穂の場合は言葉に固執し、詩の世界を閉鎖することで成立する。だけど西脇順三郎の場合は、解放するということで、まず歩きゃいいんだから。
篠田 読者もまた固執しちゃいけないのよ。固執したらかえってわからなくなりますよ。
田村 あのね、一人で歩いちゃだめなんだ、二人連れでなきゃ。
(中略)
鍵谷 田村さんが吉田一穂をだめだというのはどういうこと。
田村 肩に力が入ってる。
鍵谷 そうなんだ(笑)。ところが西脇さんは肩どころか全身から力が抜けちゃってる。
(中略)
田村 詩を書く場合は肩に力を入れたらだめよ。
(中略)
篠田 しかしねえ、そんなこと言うなら『四千の日と夜』なんて、肩の力が入れっぱなしじゃないか。
鍵谷 むしろ力の入れすぎといえないこともない。
田村 若いのよ(笑)。
(中略)
田村 肩から力を抜くということは、たいへんな力がいるということだ。セバスチャン=バッハよ。

 つまり、肩から力が抜け、それ以上に全身から力が抜けているという意味で、後期の田村と西脇順三郎は共通していたのです。『四千の日と夜』の頃の初期田村は、若さゆえに自動的に肩に力が入ってしまい、垂直的人間でなければならない、などの倫理性が強く出ていて、西脇とそれほど似ていなかったのです。後期田村と西脇に対立するものとして、肩に力が入っているとされる吉田一穂が挙げられています。では、後期田村と西脇の類似性、後期田村と吉田の差異について見て行きましょう。
 まず、吉田の作品を読んでみましょうか。

白鳥



掌(て)に消える北斗の印(いん)。
……然(け)れども開かねばならない、この内部の花は。
背後(うしろ)で漏沙(すなどけい)が零れる。



燈(ラムプ)を点ける、竟には己れへ還るしかない孤独に。
野鴨が渡る。
水上(みなかみ)は未だ凍つてゐた。

(後略)

 このように、吉田の作品にみられるのは、きびきびとした断言であり、そこに「遊び」は感じられません。漢字の読み方も逐一指定していて、彼の詩は大きな目標に向けて自らを律していく彼の姿勢を如実に表しています。彼はエッセイ「極の誘ひ」において、北極への憧れを強く語っています。そこでは「人・獣・神」が一体となり、そこには神話力の源泉があり、そこは「ネガティフな生命の源泉」であり、彼はそこへと垂直に向かっていこうとします。彼には壮大なロマンがあり、そのロマンへ向けて彼自身を厳しく律していくのです。
 この吉田の姿勢は、初期田村に似ていないでしょうか。確かに、初期田村は主に思想を語っており、吉田のようなイメージ偏重ではありません。ですが、戦後、軍隊での厳しい規律や戦時の緊張状態をどこかひきずりながら、と同時に敗戦の傷と立ち向かい、その傷から否応なく発されていく言葉を発した初期田村の厳しさと遊びのなさは吉田に似ています。生ぬるい生活や雅な叙情などには回収されず、意志と自律によって虚構の厳しい世界を作り出したという意味では、吉田と初期田村はかなり似ているといえるでしょう。ですが、だからこそ田村は吉田を否定する必要があったのです。
 次に、西脇の作品を見てみましょう。



南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

 この作品は、西脇の第一詩集『Ambarvalia』に収録されています。1933年、彼が39歳の時に出版されたものです。その四年前、1929年、彼が35歳の時、『超現実主義詩論』を出版しています。『超現実主義詩論』において、西脇は、退屈な人生を面白くするために時空間的に遠く離れたイメージを結びつけることを詩学として提示しています。さらに重要なことは、この論において、彼は芸術を、経験を表現する現実主義ではなく、経験を破る超現実主義としてとらえていることです。
 確かに、「雨」を読んでみますと、青銅と噴水とツバメと、意外なものが結合されているのが見えますし、雨を女神の行列とみなすことも意外な比喩であります。そして、この作品は全き虚構であり、西脇の経験を超えたところで成立しています。ですが、この作品にみられるのは、それ以上の官能性ではないでしょうか。女神が舌をぬらす、というのはまさにエロティックな表現でありますし、様々なイメージの列挙も、読者を惑わし、読者をイメージの官能の中に巻き込むものであります。さらに、この詩には「遊び」がふんだんに取り入れられています。遠いものを結びつけるということは、逆に言えば恣意性を許容するということであり、また、経験を破るということは、経験の呪縛から自らを解き放つということでもあります。また、官能性自体も遊びであり、感覚の自由な刺激の中に自らを漂わせることであります。
 西脇はのちに、彼が74歳の時に出版された『詩学』に収録されることになれる「ボードレールと私」というエッセイで、ボードレールの『悪の華』を諧謔の産物とみなしています。西脇は老境に達するにつれ、ウィットや軽みや諧謔や無の方角へと傾いていきますが、その「遊び」への志向はすでに『超現実主義詩論』の一見厳しそうな詩学にも胚胎されていたといえるでしょう。
 「遊び」とは、その根源的な無償性によって特徴づけられます。遊ぶ者は、遊びに様々な資源を費やしながらも、それを何か生産的な目標に寄与させることを拒みます。遊びは、現実のさまざまな規律から逃れ、自由に自らを費やしながら、遊びそのものを目的とする行為です。遊びは外に目的を持たないその自由さによって、かえって外の現実の役に立ったりします。芸術における美もその一つであり、芸術がそれ自身を目的とするとき、そこに美が生まれやすく、そしてその効用は外側へと波及していきます。
 田村は、詩においても詩論においても「遊び」のない吉田を嫌った。それは自身の初期の創作の超克でもあるでしょう。一方で、詩においても詩論においても「遊び」に満ちている西脇を好んだ。
 さて、ここで冒頭に掲げた「木」を読み返してみましょう。「木は黙っているから好きだ/木は歩いたり走ったりしないから好きだ/木は愛とか正義とかわめかないから好きだ」。このあたりの思想はまさに軽妙洒脱であり、話すことや移動することの生産性の拒絶、大義名分へと自己を律していくことへの拒絶が語られています。しかし、ここまでは本当の遊びではありません。
 次を見てみましょう。「ほんとうにそうか/ほんとうにそうなのか」。そして、それ以前とは違った木の在り方の可能性について語っていきます。このような、直線的ではなく、旋回し、反転するような詩行の動きはかつての田村にはほとんど直接的には見られなかったものです。かつての田村は、基本的に詩において直進を続けていた。まさに、何かしらの現実の目的のため労働するかのように。ところが、ここで田村の詩行に、明示的に、立ち止まり、振り返る、という余裕が生まれてきます。このような思弁は、まったく無益で、何の役にも立たないかもしれない。その遊びが田村には生まれてくるのです。
 そして最終連。「木/ぼくはきみのことが大好きだ」。こんなに詩的に自由な表現はあるでしょうか。ここに来て田村は、詩であるために必要な規範をすべてなげうっているように思えます。この言葉は詩でなくても全く普通に発されうる言葉です。ですが、後期田村の作品には、このような、詩であることからも自由であるようなぶっきらぼうな言葉がたくさん出てきます。詩というものを遊びと化すこと。そしてさらに、詩という遊びのルールまで無視して、詩であることからも自由になり、詩を超えた遊びを展開していくということ。後期田村の作品には、このような遊びの極致のような特徴がみられます。
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by sibunko | 2012-10-26 09:24 | 田村隆一

110.続・田村隆一詩集

110.続・田村隆一詩集

栗の木

そのとき
ジョージ・オーエルの『一九八四年』を読んだばかりの彼女が云った
「お店の名前は栗の木がいいわ」
ぼくはグレアム・グリーンのスパイ小説『密使』に夢中になっていた
 「いやD(デイ)がいいよ 反革命と戦うために
 石炭を買いにイギリスへ渡る
 『ローランの歌』の研究家Dがいいな」

ちいさな論争のあげく
DからDAY(デイ)ということになった

DAYは銀座裏の酒場(バー)の名前である
小説の題名でもなければ 孤独な中年男の頭文字(イニシアル)でもない

「そのとき」から七年たった
むろん、彼女もDAYもぼくの夢から消えてしまっている
四十歳の夢にあらわれるのは
一本の栗の木
十月の栗の実 あの
六月の栗の花の匂いだ

 この詩「栗の木」が収められている『緑の思想』という詩集は、1967年、田村が44歳のときに出版されています。『田村隆一詩集』で取り上げた「四千の日と夜」が収められている『四千の日と夜』という処女詩集は、1956年、田村が33歳のときに出版されています。その間、1962年、39歳のとき、翌年高村光太郎賞を受賞することとなる『言葉のない世界』という詩集を出しています。『言葉のない世界』は『田村隆一詩集』に所収されているのですが、重要なので、ここで同詩集のタイトルともなった「言葉のない世界」の部分を引用します。



言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない

 「垂直的人間」とは何でしょうか。あるいはそれと対比されている「水平的人間」とは。これも擬思想、つまりまがい物の思想であり、多様な解釈を許すと思います。ですが、「垂直的人間」というとき、その「人間」は第一次的には「詩人」であると思います。だから、田村は第一次的には「垂直的詩人」であったわけです。あるいは、「垂直的人間」とは第一次的には「詩人」のことを指していたと考えることも可能です。そうすると、田村の作品の中から垂直性を読み取るのが無難ではないかと思われます。
 垂直であるということは、まずは、水平的なものの流れをせき止めるということです。水が水平に流れている水路に垂直に板を差しこみ流れを止める。つまり、垂直ということは一つの停止であると同時に、その停止の際の衝突から物事が上昇していく、新たな発展を見せていく、そういうことです。水路の水は板でせき止められたとき、それでも流れようと垂直に盛り上がっていくはずです。垂直ということは、何らかの障害を設定することにより、その障害とぶつかるものを運動させ発展させることだと思います。
 さて、では田村の詩の垂直性はどのような点にあったのか。まず、「四千の日と夜」にあったような、倫理性。それは「水平的人間にとどまるわけにはいかない」という倫理性にも表れています。つまり、水平的人間であってはならないという規範、つまり水平的に流れてしまうことに対する障害、を設定し、それを自己にも他者にも向ける。この規範こそが垂直性なのです。そのことによって、水平的に流れてしまう態度を絶えず反省し、垂直へ向かうように田村自ら運動を続け、他者にも運動を続けさせる。
 次に、田村の詩に頻出する矛盾。「言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって」これは一見矛盾するように思われます。あくまで言葉を使っている以上常に言葉は存在するのであって、それによって言葉の存在しない世界を発見することは不可能なのではないか。読者はこのような矛盾に直面し、判断停止・宙吊り(エポケー)の状態に置かれます。この矛盾こそが垂直性なのです。読者は、言葉を使うからこそ、その言葉で覆えないものが見えてくるのだ、そして言葉で覆えないものはただ感覚され発見されるにすぎないのだ、例えばそういう解釈に導かれます。矛盾、つまり垂直性を詩の中に提示することによって、読者の水平的な読詩の流れを遮断し、読者に解釈や反省を強いる。
 さらに、詩の異化作用。「異化」とは、日常的なものを日常的ならざるあり方で再提示することです。異化こそが文学の本質だと論じていた学派(ロシア・フォルマリズム)もありました。異化とは暴力の行使でもあります。つまり、水平的に何のつまずきもなく滑らかに流れていく日常的な言葉のやりとりを破壊し、中断させ、異様な言葉を生み出すことで言葉の受け手に衝撃を与えます。「真昼の球体を 正午の詩を」この部分は、まさに詩の異化作用が如実に表れている部分です。日常的な言葉のやりとりで「真昼の球体」などという言葉はまず出てきません。真昼に何か充実するものを感じる、真昼に何かまとまっていくものを感じる、そしてその充実するもの・まとまっていくものは、なんとなく球体のようななめらかさ・完全さを備えている、そんな感覚を異化することによって「真昼の球体」という詩句は出て来たのです。この異化作用も垂直性だと思われます。
 さて、「栗の木」をもう一度読み返してみてください。ここには、倫理性も、矛盾も、異化作用もほとんどないことに気づくでしょう。つまり、田村はバーの成立の経緯を何の障害もなく、つまり垂直性に直面せずに、ただ漫然と思い出し、また、現在の日常的感覚を、これまた何ら垂直性に直面することもなく漫然と語っています。「栗の木は」その意味で極めて水平的な詩なのです。中期から後期に向かっていくにしたがい、田村の詩にはこのような水平性がどんどん現れていきます。佐々木幹郎は、「肉眼へ向かう感性の反乱」という対談の中で以下のように語っています。

「腐敗性物質」までは、水平的な資質にもかかわらず、垂直的な人間への憧れがあふれている。垂直にまっすぐ立つためには、骨格を持たなくてはいけないから、骨格を持った人間にあこがれるということですね。『緑の思想』(一九六七)以降は、骨格をなくした「クラゲ」になろうとしたという感じがするわけね。クラゲになると水平も垂直もありはしない(笑)。

 僕の言葉でいえば、「骨格」とは倫理性であり矛盾であり異化しようとする意志であるわけですが、いずれにせよ、中期以降の田村においては、垂直とか水平とかそういう契機が混ざり合っていて、混沌としていきます。



青い十字架

 ゴルコンダというインドのワインを飲んで そのワインは赤だったから その刺激的なタンニンの味が ぼくらの舌を形づくり 太陽と葡萄の結晶物 不定形で流動的な結晶物は やがて咽喉部の暗い通路を まがりくねって降りて行くと

(中略)

 ぼくらの心は インドのワインで燃えていたから創造的な芸術家 つまり批評家も立ち聞きしてくれない泥棒になるよりほかになかった インドの星を瞶めているうちに

 青いサファイアの十字架を狙って 神父に化けた大泥棒 その正体を見破ったカトリックの坊さんが云ったっけ――「あんたは理性を攻撃したではありませんか。それはよこしまな神学でな」

 太陽がのぼり 青い十字架は消滅する 内なる芸術家も批評家も行方不明になって ぼくと青年は 神々と動物と性とがはげしく呼吸しあい 空に向かって歓声をあげながら墜落して行く高塔寺院の方へ

 この詩は、1976年、田村が53歳のときに刊行した詩集『死語』に収められています。処女詩集を刊行してから20年。『四千の日と夜』では極めて垂直的だった田村がだいぶ水平的になっていることが分かります。「ゴルコンダ」という固有名の使用。「ワイン」という生活語の使用。田村は、音楽的で倫理的で矛盾をたくさん抱えた初期の詩編の境地には耐えられなくなった。

 やはりそれは、私としても現実的な手がかりがどうしても必要なんで、それがなくてはちょっともたないですよ。その意味で、たとえば『四千の日と夜』のようなやり方だけでいったら、とても生命がもたないですね。外的なものをもつということは、だから一つのぼくの健康法だろうと思うんですけど、それはしかし、ただ易きについたわけではないんですよ。現実的な手がかりを得ることによって、もっと違う深みが見つかるのじゃないかというようにぼくは思ったわけです。

 「恐怖・不安・ユーモア」より。現実というものは、何よりも一番存在することが確かなものです。そこには家族もいれば友人もいれば住居もあれば生活もある。何よりも、自分自身のありのままの姿がある。その現実の手触りはとても温かい。現実と触れていることは、あらゆる生活の事物と無意識的・意識的な結合関係に立つということであり、人間を安らかにします。現実的な手がかりというものを語ろうとするとき、どうしても必要なのが、現実に存在する人や土地の名前、つまり固有名であり、実際に生きるときに用いる様々な道具の名前、つまり生活語であるわけです。でも、中期以降、田村が現実へと向かってもなお失われなかったモチーフがありました。それが「恐怖」のモチーフです。少し田村の「恐怖」についての考えを聴いてみましょう。同じく「恐怖・不安・ユーモア」より。

 自分には確かに恐怖というものが一貫して大きな動機になっています。いわゆる現代的な詩人の詩というのは、恐怖よりむしろ不安、不安というものが大きなモチーフになっているわけですよ。その原動力になるものはというと、欲望なんです。欲望がなかったら不安とか不平不満とかいうものは生れないですからね。

 そして、欲望を軸にすると状況に依存した相対的な怒りしか生じない。だが、状況に依存しない絶対的な怒りも必要なのではないか。不安を軸にすると敵が見える。だが、そのようにして敵を存在させるのではなく、「人間の存在そのものに対する本質的な恐怖」が必要だ。不安と恐怖が交わったところで詩がかければ立派な詩が生れる。そんなことも言っています。
 ここに見てとれるのも田村の水平性と垂直性の交わりです。欲望を抱くことは、状況に対抗することであり、垂直的なことです。ですが、田村は欲望を抱くなと言う。これは状況に対して受動的であり、水平的なことです。ところが、欲望を抱くことは垂直的でありながら、絶えず状況という水平的なものにからみ取られ、水平的なものに脅かされ続け、不安を感じるということです。それに対して、欲望を抱かず、不安を感じないということは、状況という浅い水平的なものに依存せずに、より根源的な水平性、すなわち人間の本質というものに鋭く刺激され、そこから恐怖という垂直的なものを生み出すということです。状況という水平性は浅く、状況から脅かされることで生み出される不安という垂直性も浅い。それに対して、状況などという相対的なものに翻弄されず、むしろ人間存在という絶対的な水平性に対して神経をとがらせていて、その根源から、鋭く絶対的な恐怖という垂直性を感じ取るということ。これこそが田村の一貫した倫理であり、一見状況に対して水平的・受動的でありながら、人間存在については鋭く垂直的であるという、田村の本質がここにあります。
 さて、「青い十字架」を読み返してみてください。「不定形で流動的な結晶物は やがて咽喉部の暗い通路を まがりくねって降りて行くと」とあるように、不定形なものに対する恐怖、暗くて狭い通路に対する恐怖、曲がりくねることの恐怖など、この詩には恐怖が深く刻印しています。そしてこれらの恐怖は恐怖であって不安ではないのです。その都度その都度の社会状況、あるいはこの詩が書かれたもとになった体験の状況、そういうものからは独立し、純粋に根源から湧きあがってくる恐怖、それがこの詩には描かれていて、この「恐怖」のモチーフは、田村の詩においてはずっと維持されるのです。
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by sibunko | 2012-10-24 12:39 | 田村隆一

1.田村隆一詩集

1.田村隆一詩集

四千の日と夜

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した

聴け、
雨のふるあらゆる都市、熔鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の日の憐みを
われわれは暗殺した

記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した

一篇の詩を生むためには、
我々はいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない

 まずこの詩をよくお読みください。まず、ここで語られている思想、そしてここで語られている事実がよく理解できない、というのが多くの人の持つ感想でしょう。詩を書くために愛するものを殺す必要なんてあるのだろうか? しかも殺し方は、射殺、暗殺、毒殺と具体的に書かれています。そもそもここで言われている「多くの愛するもの」とはいったい何なのでしょう。2連目以降に、射殺の対象が「四千の夜と四千の日の逆光線」、暗殺の対象が「四千の日の愛と四千の日の憐み」、毒殺の対象が「四千の日の想像力と四千の夜のつめたい記憶」と明記されています。ですが、逆光線や憐みや想像力や記憶を殺すとはいったいどういうことでしょう。
 そもそも「四千の日と夜」の「四千」とは、敗戦からこの詩が書かれるまでに経過した日数を表しています。大体10年ということになりますね。戦後10年というと、まずはGHQの支配があり、日本国憲法が作られ、日本は非軍事化・民主化されます。農地改革によって地主から小作人は解放され、農民は勤労意欲が増し、農業は活気を増していきます。労働改革によって、労働者は団結権・団体交渉権・争議権を獲得し、資本家から搾取される立場から、より自立して意見が言える立場に変わっていきます。財閥解体によって、産業には革新的な企業が参入し、競争的な市場が形成されていきます。人々の生活においては、闇市が横行し、食糧難があり、浮浪児があふれる、そんな中で人々は貧困を克服していこうとします。1950年には朝鮮戦争があり、日本には朝鮮特需がもたらされます。 米軍が軍需物資やサービスを日本に発注したのです。これにより日本は大きな経済成長を遂げます。1951年にはサンフランシスコ講和条約・日米安保条約が締結され、日本は占領から解放されると同時に対米従属的な立場に立つようになります。1955年には、自由民主党と日本社会党が成立し、保守・革新の二大政党を軸とする55年体制ができます(以上、中村政則『戦後史』(岩波新書、2005年)参照)。このような社会的状況の下で、『四千の日と夜』という詩集は書かれ、そして、詩集のタイトルともなった、上掲した「四千の日と夜」に言う四千日とは、このような政治的な激動とその社会的反映に彩られていたのです。
 まず、「日と夜」というのは、昼と夜、あるいは一日と夜という具合で、結局一日のことを表します。だったら、「四千の日と夜」などと言わずに簡単に「四千日」と書けばよかったのではないか、という単純な疑問が起こります。ところが田村はあえて「夜」を強調した。これはある意味奇妙なこととも言えるでしょう。というのも、戦後の四千日、つまり十年間というものは、確かに食糧不足などネガティブな事情も多かったでしょうが、上で見たとおり、民主化・自由化・平等化・経済発展という、ポジティブな事情の方が多かったからです。そのようなポジティブな前進的な四千日を、あえて「四千の日と夜」と「夜」を強調しなければならなかったのは、一番大きな理由は田村の戦争体験でしょう。田村は16歳のとき、中桐雅夫編集の「LE BAL」という詩誌に参加しています。「LE BAL」のパーティーで、鮎川信夫、森川義信、衣更着信、牧野虚太郎、三好豊一郎らと知り合います。ところが、彼が18歳のときに太平洋戦争開戦。1942年、彼が19歳のとき、鮎川、中桐が陸軍に応召され、森川が戦死します。年長の文学仲間が相次いでいなくなり彼は孤独を感じます。そして、1944年、21歳のとき彼も海軍に配属されます。開戦のとき、彼は「もうおしまいだと思った」そうです(「「若い荒地」を語る」より)。いくら戦後の10年が明るさを目指していたとしても、田村はいつまでも「夜」としての戦争体験を引きずっていた。だから彼は単純に「四千日」と書かずに「四千の日と夜」と書かざるを得なかったのだと思います。
 さて、話を元に戻しましょう。四千の日と夜の逆光線や愛や憐みや想像力や記憶を殺すとはどういうことか。ここで列挙されている逆光線などは、あくまで例示に過ぎないと思います。つまり、入れるつもりになれば他の言葉をここに入れてもよかった。逆光線とは逆らってくるあらゆるものの象徴、愛などは人間のあらゆる精神活動の例示、そう読んで差し支えないと思います。つまり、この詩は、一篇の詩を書くためには、戦後10年間の光(日)と影(夜)にまつわる、逆らって来るものや精神活動を滅さなければならないということを言っているのです。これはある意味矛盾しています。つまり、戦後10年の文化的経済的発展という、「日」の部分によって引き起こされる精神活動などを殺すと同時に、戦後10年を経てもその根底に絶えず横たわっていた、戦争という「夜」の記憶によって引き起こされる精神活動などをも殺さなければならない。発展を殺し戦争の記憶へと回帰すると同時に、戦争の記憶への執着をも殺し、発展・前進へと向かおうとする、相反する二つの傾向性がここに見てとれるのです。この詩には田村のそのようなジレンマが刻印されていると言えるでしょう。



 少し技術的な点を見ていきましょうか。まず気付くのは、この詩が非常に倫理的であるということです。「倫理的」とは、人がなすべきことを多く告知したり、人の間違いを非難したり、そういうことです。つまり、人が従うべき規範を提示して、それに反してはならないと命令し、それに反した場合はその違反を告発するということです。「われわれは殺さなければならない」という規範(ルール)の定立。「見よ」「聴け」「記憶せよ」という命令。一方で、「われわれは暗殺した」というような罪の告発もあります。倫理的であるということは、読者に対して攻撃的であるということです。読者に命令したり読者を非難したりするということです。つまり、この詩は読者に対する働きかけが非常に強い。読者の身を正したり、読者に反省を強いたり、読者の心を引き締めたりします。ところで詩というものは、多くの場合読者の感情への何らかの働きかけをするもので、読者の感情を揺り動かす抒情性が、多くの詩の存在条件となっています。ところが、田村の読者の感情を動かす仕方は特異なのです。それは単純に、読者を感動させたり読者に甘い感情を抱かせたり読者を戦慄させたり、そういう感情の動かし方をするのではなく、むしろ読者の感情を引き締め、読者の感情を純粋なものとし、さらには感情を超えて読者に意志すら抱かせます。つまり、「詩を書くためには何かを犠牲にしなければ」という意志です。倫理的であるということは、ありがちな抒情を生み出すことではなく、読者の感情を引き締めたりという特殊な抒情を生み出すことであり、それにとどまらず読者に意志すら抱かせるということでもあるわけです。
 それを踏まえた上で内容面に立ちかえりましょう。田村は、一方で、詩を作るためには愛するものを殺さなければならない、という規範を示しています。他方で「一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、/四千の夜と四千の日の逆光線を/われわれは射殺した」と語り、詩を書く欲望のために愛するものを殺した、その詩人の罪を非難しています。「小鳥のふるえる舌がほしい」とは、結局詩を書きたいということの喩えでしょう。これを見ると、田村は倫理的態度においても分裂し、ジレンマに直面していたことが分かります。詩を書くためには殺せ、と能動的に命令する一方、詩を書くためにはしぶしぶ殺さなければならないのだ、と受動的に世界に屈服しています。そして、殺すことは結局詩を書く欲望に駆られてのことであり、それは罪なのだ、と能動的に断罪する一方、自らもその罪を犯したのだ、と受動的に懺悔もしています。結局田村は、詩を書くということがそれほどまでに倫理的なことであり、そしてその倫理性は複雑なジレンマの渦中にあるということを示しています。そして、そのジレンマを問題として読者、特に詩人に投げかけることが、結局はこの詩が最も成功裏になしえていることであるのでしょう。
 さらにもう一つ技術的な話として、この詩が定型と音楽性を備えていることを挙げる必要があると思います。まず、音楽の構成要素は原則的に楽音と呼ばれるものです。楽音とは、音の高さが明確に分かる音のことで、音の高さが良く分からない噪音と区別されます。噪音とは、自然に起こる雑音のようなものです。初期の田村の詩には、楽音に対応するような単語が好んで使われています。逆に言うと、噪音に対応するような固有名や生活語が排されているのです。固有名はあまりにも強く対象と結びついているので、対象の雑多なあり方まで詩の中に持ち込んでくるので、音楽で言ったら雑音に対応するようなものです。例えば、「岩手」というと、あの岩手県と直接に結び付き、岩手の風物やら歴史やら文化やらあらゆる雑多なものが詩の中に舞い込んできます。そして生活語はあまりにも読者の雑多な実体験と結びつきすぎて、これも雑音になります。例えば、「シャンプー」と言うと、あまりにも読者の生活と密接につながり過ぎて、生活の生々しさや煩わしさや、シャンプーにまつわる様々な雑多な実体験を呼び起こします。それに対して、「小鳥」という言葉のなんという抽象性。どんな特定の小鳥とも結びつかないゆえに、対象の生の雑多なあり方を詩の中に持ち込まず、ただ観念的に小鳥の抽象的で普遍的な性質を指し示すのみです。初期の田村の詩には、このような抽象的で観念的で、音楽を構成できる楽音に対応するような単語が好んで用いられているのです。だから、まず、構成要素の次元で、田村の詩語は、楽音に対応し、そもそも音楽を可能にします。
 次に定型の問題。「見よ、/四千の日と夜の空から/一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、/四千の夜と四千の日の逆光線を/われわれは射殺した」第二連のこの構造は、第三連、第四連でも繰り返されています。「聴け・・・暗殺した」「記憶せよ・・・毒殺した」、ここでは、同じ構造の繰り返しにより、その構造が一つのメロディーを明確に形成し、さらに「見よ」「聴け」「記憶せよ」にアクセントが置かれることで明確なリズムが形成されています。もちろんどんな文章にでもメロディーやリズムを読み取ることは可能ですが、同じ構造、同じ型の繰り返しは、繰り返しにより強いリズム感を生み、また繰り返されることでその構造のメロディーが強調されます。定型はメロディーやリズムを明確な形で生み出すのです。
 だから、田村の詩は、そもそも音楽を構成することのできる抽象的な語によって構成され、さらに定型を持ち込むことによりメロディーとリズムを顕在化させていて、まさに音楽を奏でていると言っていいでしょう。田村の詩を読んだときの心地よさは、まさに音楽を聴いたときの心地よさと似ているのです。



 ところで、田村は詩において多くの思想を語った詩人であります。特に詩や詩人についての思想を、詩の中で多く語っているのが特徴的です。「四千の日と夜」は、その意味でも田村の詩の特徴が見えやすい詩です。詩を書くこと、詩人のなすべきことについて書いているのですから。ところが、初めに言ったように、ここで語られる思想は難解です。理解するためには解釈が必要で、その解釈も絶対に正しいとは言い切れません。僕は、この詩の思想の解釈として、詩を書くためには、戦後の発展を殺し戦争の記憶に回帰すると同時に、戦後の記憶への執着も殺し前進することが必要だ、という解釈を提示しましたが、これが正しいという決定的な根拠はありません。
 このような思想、つまり、何か思想を語っていそうだが、当の思想をよく理解しようとすると肩透かしを食わせられて、結局思想の真の意味が良く分からない、そういう思想のことを「擬思想」と呼びましょう。まがい物の思想、という意味です。なぜそう呼ぶかというと、思想というものは、本来論理的で説得的で体系的で明快でなければならないからです。論理性などを備えていないけれど思想の外観だけは備えている、そういう記述のことを「擬思想」と呼びましょう。
 思想を詩で書くためには、擬思想にならざるを得ないと思います。本当の思想を書いてしまったら、つまり、論理性・説得性・体系性・明確性をそなえてしまったら、それはもはや論文であり詩ではなくなってしまうからです。そして、詩というものは反省や熟考を重ねて整合的な体系を備えるようなものではありません。むしろ、詩というものは、人間の脳裏をよぎる刹那的な思想や感情や認識などを、その原初的で揺らぎを含みいささか極端である、そのままの状態で写し取るものです。言葉がない状態から言葉が発生する状態への動的な移動、言葉が様々な不確定な要素を含んで混沌としているその原初的な状態を写し取るのが詩であるわけです。だとしたら、そこで現れてくる思想というものも、体系性などを備えた本物の思想になるわけがありません。思想の萌芽、つまり、まだ十分整備されていず、思いつきの熱がさめやらない、いささか極端で多義的である、そういう擬思想こそが、まさに思想が詩の中に現れるときの正しい在り方なのです。
 そして、田村の気質が、擬思想によく合っていた。著書『若い荒地』を読むと分かると思いますが、田村の散文は飄々としていて軽妙であり、逆に言えばとても浅いです。優れた批評意識や、物語をちゃんと構成する意識、物事を熟考する意識などは乏しかった人です。また、田村はお酒が好きで、お金を借りても返さない人だったようです。生島治郎によると、田村は、早川書房の編集長をやっているときでも、いつも酒気を帯びて出勤し、ただ編集室の奥の三畳間で横になっていたばかりだったそうです。「おい、そんなに仕事をしすぎるとオテント様のバチが当たるぜェ」などと言っていたそうです。(「酔っ払い編集長~田村隆一氏のユーモア」より)。つまり、田村は社会に対する責任意識というのが薄かったのです。その責任意識の薄さが、詩にも反映されていて、熟考しない思想、体系のない思想、不明確な思想、というものを可能にしたのだと思います。責任意識が強ければ、思想を語る以上擬思想であってはならず、本当に論理性や整合性を持つ明確な思想を語らなければと思いがちだと思います。
 とりあえず第一冊目はここまで。ぜひ現代詩文庫『田村隆一詩集』を手にとってお読みになることをお勧めします。
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by sibunko | 2012-10-24 12:28 | 田村隆一