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1.感情の書き方

感情の書き方

 詩の作り方にもいろいろありますが、一つの方法として自身の感情の高まりを表現するというものがあります。読者は詩を読むことで心が動かされるのを望みますが、感動を伝える詩は読者の心を動かせるからです。例えば、花の美しさに感動したとか、手紙をもらって嬉しかったとか。ですが、それを直接「花が美しい」「手紙をもらって嬉しい」と文章化しても、詩としては面白くありません。特に新しさもなく、陳腐だと言われるだけです。では、先人はいったいどのようにして感情の高まりを詩に表現したのでしょうか。
 ここで、種田山頭火(1882-1940)の俳句を採り上げます。俳句といっても、自由律俳句というもので、季語もなければ575のリズムもありません。575の形式的なリズムを捨てることで、むしろ俳人の心身のリズムが現れてくる、そのような俳句だと思います。
 山頭火は、手紙について次のような句を作っています。

 けふは凩のはがき一枚

 まず指摘したいのは、この句のどこにも「嬉しい」などといった感情を表す言葉がないことです。「はがき一枚」と書くことだけで、はがきをもらったときの嬉しさやうまく言えない微妙な感情を表現できています。ここで「嬉しい」と書いてしまうと、感情が単純化されてしまい、はがきをもらったときの複雑な感情が逆に表現できなくなってしまうのです。
 また、「はがき一枚」とだけ書くことで、俳人がはがきを取りに郵便受けのところまで行く動作や、郵便受けにはがきが入っていたことに気づいたときの感情や、部屋に戻ってはがきを読む行為、そしてそこから受け取る何かしらの印象、などのすべてを読者に思い描かせることができています。ここで「はがきをもらって嬉しい」と書いてしまうと、嬉しさを感じている時点しか表現できず、時空間の広がりを読者に感じさせることができないのです。
 次に指摘したいのは、俳人の周囲の状況も付加されていることです。「凩(こがらし)の」という部分です。「はがき一枚」の部分は、読者に、どちらかというと屋内の状況を思い浮かばせますが、「凩の」は屋内と屋外の両方を思い浮かばせます。屋内で聞かれる木枯らしの音や、屋外で道の上や木の間や人家の屋根の上を吹き抜ける木枯らしそれ自体、また、木枯らしによって木が揺れる様、さらには、木枯らしによって木の葉が舞う様、それらすべてを読者に思い浮かばせることができます。「凩の」を付加することで、句の抱懐する時空間の領域がぐっと広くなるのです。
 また、木枯らしに伴う物寂しい印象が、はがきをもらったときの感情と対立し、あるいは混ざり合い、読者に複雑な印象を抱かせることに成功しています。
 句の原形として、「はがきをもらって嬉しい」という感情の高まりがあるのかもしれません。ですが、そこから「嬉しい」という直接的なことばを除くことによって、はがきをもらったときの微妙な感情や、はがきをもらうことに付随する行為や印象をも表現できるようになる。さらに、「凩の」という周囲の状況を付加することにより、句の抱懐する時空間を広げ、句の印象を精妙にしている。
 山頭火にとっては、このような句法は自然発生的なものだったのかもしれません。ですが、後世のわれわれは、それを技術として学び取ることができます。もちろん詩は技術だけで書けるものではありません。ですが、詩を書く技術を学ぶことは、われわれの世界の感じ取り方を豊かにすることでもあります。山頭火の技術を自分のものにすれば、単純な嬉しい感情だけではなく、もっと微妙な感情をとらえることができるようになり、また出来事に付随する広い時空間をも認識することができるようになります。参考にしていただければ幸いです。
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# by sibunko | 2012-10-25 02:19 | 初心者への詩論(詩と向き合う)

4.山本太郎詩集

4.山本太郎詩集


蛇蝎の唄
鏡にむかって唱える


おのれ 醜(シュウ)

どろあしで ふみにじる
鏡に 流るる どろえきのしたに
ちぬらるる

おのれ 蛇蝎の族(ウカラ)
韜晦を重ね
はや とおかいに心しびれ
おのれに 内射の眼を 蒸し殺し
誇りもしたのか
じだらくの智恵を

鏡面に醜たる
醜たる おのれ わらい わらいの
なお きたならしき
じだらくの智恵を

おのれ 醜

醜を恃む 蛇蝎の
この「いま」をなげうっては
逃げようとする
その みにくい
弱いゆえに狡猾な
死さえ装っては 隣人を狙う

ああ 遠くでは銃声がなってゐて
爛壊(ランエ)の匂いは土にしみ
暗い未来をはいめぐる
永劫蠕動

 イツノ日カコノ俺ハ失セテモシマイ
 テナヅケラレテ 失セテモシマイ

遠く愛より放たれて
暗い血をうけて匍う
じつに弱者の歴史なるに

なお 消(ケ)ぬか

さかしらの
文明人達


 山本太郎の詩から感じられるのは、人間の悲惨さや滑稽さを真っ向から受け止める強さと、それを生々しく陰惨な言葉で虚空へと放っていく弱さです。わざと卑俗な言葉を使ったり、呼びかけを多く使ったり、とにかく現世の人間のきれいごとでは覆いきれない部分を、切迫した語調で唄っていきます。

 人間を苦しむ神、いや、俺を苦しむ神がどこかにいなければならない。
 俺はその神に、存在の悲しみを「問わ」なければならない。
 「問い」の仕事をはじめるべきだ。こんどはあわてず、ゆっくりと、神に届く言葉で。
 (「詩論序説」より)

 山本は、このようにして、存在の悲しみを神に問うために詩を書き始めたと言っています。ところで、「存在の悲しみを神に問う」といっても、問いの在り方は多様にあるでしょう。なぜ俺は悲しまなければならないのか。そのような悲しい俺はなぜ存在しているのか。神が俺を苦しんでいるのだとすれば、なぜ神は俺を助けないのか。そして、苦しむ神に助けてもらうには俺はどうしたらよいのか。ですが、山本がその詩で行っているのは、いわば問いの前提作業だといってよいでしょう。例えば上記の作品では、人間の醜さに対する山本の憎しみが綴られていますが、それは、人間がこれだけ醜いのだ、ということの表白であり、それ自身が問いではないです。むしろ本当の問いは、この詩を前提に、「こんな醜い人間存在を神よお前はどう考えるのか?」という形で発されるはずです。
 ところで、山本は問い自身ではなく問いの前提を書きつづった、まさにそのことによって、読者に対して非常に開かれた作品を生み出したと言えるでしょう。例えば、「わが市にはこんな問題がある。それについてあなたはどう考えるか?」という問題提起を考えてみましょう。「あなたはどう考えるか?」の部分は、発話者と「あなた」の間の閉ざされたコミュニケーションです。ですが、「わが市にはこんな問題がある」の部分は、問いかけの前提として、そこから問いかけが誰にでも向けられていくのです。山本は、このように、人間の問題を詩として提起した。その人間の問題を前提として、「ではあなたはどう考えるか?」という問いは、すべての読者にも同時に投げかけられているといえるでしょう。山本には問いかけの身ぶりはありますが、問いかけの内容や問いかけのあて先は白紙のまま読者の前に投げ出されています。読者は山本の提起した問題をもとに、問いを自ら想定し、それに対して答えを返していきます。
 さて、この「蛇蝎の唄」は、「このような醜い人間を神はなぜ生み出したのか?」という問いの前提であると仮定しましょう。ところが、この詩には、「永劫蠕動」「コノ俺ハ失セテシマイ」という語句が見受けられます。これは、もはや問うことすらあきらめている、仮に答えを聞いたところで何にもならない、そういう山本の態度の表れではないでしょうか。問う主体である俺も消えてしまっているし、理由が何であれ人間は永久に苦しまなければならない。問いには、常にその問いに対する答えへの反応もあらかじめ含まれています。人は何かを問うとき、その答えを予想し、その予想された答えに対してあらかじめ反応してしまうものです。
 だから、山本の詩は、問いの前提として、あらゆる存在に対して問いを開いていくと同時に、あらゆる存在に問いかけの身振りで接し、さらには問いへの答えを予想し、それに対してあらかじめ反応する、そういうことをしています。詩は決して、個人の私秘的で一方的な内面の吐露ではない。特に山本の詩には常に相手がいて、その相手との問いというコミュニケーションを図っているのです。




讃美歌


神 イエスを
靴べらにして
われを履き給いしかば
われ驚き怪しみて
いばらの道を駈け
ボロボロの駝鳥
のごとくなれり

ああ神
わが あらがいの舌を
ほろぼし
われを用い
ぬぎすて給わず
われら歩き歩きて
いくその時を経んとするか

いま街道はくれなずみ
悲しみの門は彼方に
夕焼雲は
腸のごとくながれる
とうふやのトレモロばかりが
黄昏を
恐怖の空間にしていて
精神のかかる荒廃した
地圏では
街も樹も人の群れも
みんなみんな
そこつな心で描かれた
落書に似たり

ああ 神
狂気の筆を挙げ
何ぞはるかに舞い給うや
そのとき 重たきもの
ついに来り
われ 地に在りて
深き坑(アナ)ぼこのごとくなれり
(後略)


 アリストテレスによれば、詩は歴史より偉大だそうです。なぜなら、歴史は個別的なことしか書けないのに対し、詩は普遍的なことを書けてより哲学に近いからです。歴史は、唯一のこの現実しか書けないのに対して、詩は言語の可能性を利用して、単語の組み合わせによって唯一のこの現実以外の事柄も書けるわけです。そして、神という存在が、この世界だけでなく、他のあらゆる世界をも治めているとすれば、言語によって自由に生み出される世界は、この世界を超えることで、より神の認識に近づいていけるとも言えます。

 何故、小説を選ばなかったか。俺にとって人間主題のドラマは不必要だったからだ。神との間になされる対話だけがドラマのように思えたのだ。その対話はそして意味に偏っているはずはないのだ。(「詩論序説」より)

 ここで言われている「意味」とは、現実の対象との対応関係によって成立するものだと思われます。「今日」という言葉が、まさにこの日を指している。そのように、言葉が対象とちゃんとした対応関係を結んでいることによって意味が発生します。言葉が対象と対応していないとき、その言葉は無意味、あるいは偽となります。ところが、そのような対象との対応関係以外の「意義」とでもいうべきものを考えることができます。例えば、「日本の大統領」は存在しません。その意味で、「日本の大統領」は現実の存在との対応に失敗し無意味となります。ところが、我々は「日本の大統領」と聞いて、なんとなく「わかる」のではないでしょうか。それは、我々が「日本の大統領」の意義をわかっているからです。「意義」とは、言葉の指し示す対象ではなく、その指し示し方を言います。指し示し方があったからと言って、指し示す対象があるとは限らない。だから、「日本の大統領」には「意義」はあるが「意味」はないのです。
 さて、引用した「讃美歌」を見てみましょうか。「神 イエスを/靴べらにして/われを履き給いしかば」これは現実のこの世界とは対応していません。あくまで想像や虚構・比喩でしかありません。ところが、山本の態度は、現実との対応を無視して、想像や虚構・比喩に現実と同じだけの存在と強度と文脈をまとわせようとするものです。イエスは靴べらになり、われは神に履かれる。このイメージは、詩においては、現実の描写のもたらすイメージと全く等価におかれます。山本が大事にする「言葉の音楽」とは、この意義のもたらす自由奔放なイメージの連結によってうみだされるのでしょう。それは、唯一のこの現実世界の束縛から逃れた、より自由な表現であるわけです。アリストテレスにおいては、詩が歴史に優位するのは、詩がこの世界の固有性から離れることが可能だという意味においてだったと思われます。そして、現代、言葉は言葉自体の文法から外れることにより、より世界の固有性から自由になりました。意味ではなく意義で読ませる詩の登場によります。
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# by sibunko | 2012-10-24 14:21 | 山本太郎

3.岩田宏詩集

3.岩田宏詩集


いやな唄


あさ八時
ゆうべの夢が
電車のドアにすべりこみ
ぼくらに歌ういやな唄
「ねむたいか おい ねむたいか
眠りたいのか たくないか」
ああいやだ おおいやだ
眠りたくても眠れない
眠れなくても眠りたい
 無理なむすめ むだな麦
 こすい心と凍えた恋
 四角なしきたり 海のウニ

ひるやすみ
むかしの恋が
借金取のきもの着て
ぼくらに歌ういやな唄
「忘れたか おい 忘れたか
忘れたいのか たくないか」
ああいやだ おおいやだ
忘れたくても忘れない
忘れなくても忘れたい
 無理なむすめ むだな麦
 こすい心と凍えた恋
 四角なしきたり 海のウニ

ばん六時
あしたの風が
くらいやさしい手をのばし
ぼくらに歌ういやな唄
「夢みたか おい 夢みたか
夢みたいのか たくないか」
ああいやだ おおいやだ
夢みたくても夢みない
夢みなくても夢みたい
 無理なむすめ むだな麦
 こすい心と凍えた恋
 四角なしきたり 海のウニ
 海のウニ!

 この詩では、「いやな唄」は疑問の問いかけの形をしています。「ねむたいか」「眠りたいのか たくないか」。それに対して岩田は率直な答えを返しません。「眠りたくても眠れない/眠れなくても眠りたい」のように、問いかけから上手に身をかわしながら、眠りたい欲求と眠れない現実の分裂を語っています。岩田は、自分自身が眠いとか眠りたいとかそういうストレートな答えを返しません。「いやな唄」の問いかけに対して、答えを留保するのです。
 さらに、この留保の態度は、自分や人間の備えている分裂に対しても向けられています。岩田は、眠りたいという欲求と眠れないという現実、そのどちらかを選択するわけではありません。つまり、眠くて仕方ないのだが眠れなくて腹が立つ、として欲求の方に軍配を上げたり、眠いけれど眠れないのは仕方がない、として現実の方に軍配を挙げたりはしません。岩田は、自分や人間の分裂についての態度も留保します。そして、自分が分裂しているというそのことについても、それを承認したり拒否したりという態度を取らず、態度を留保しています。
 さて、このような留保の姿勢は詩にとって本質的です。

張りつめた対峙の中でサディストは苛立つ。かれは対象を分析的にではなく、一挙に把握したいのだが、そうしようと焦れば焦るほどかれの対象は霧に包まれ始める。それは存在の不明瞭さから湧きあがってくる霧であるのかもしれない。(「サディストの苦悶」より)

 ここにおいて、「サディスト」とは詩を書く者のことです。詩を書くものは対象を一挙に把握しようとするため、逆に対象をあいまいにしかとらえられない。対象は隅々までよく見えて理解できるものではなく、不透明で、それについての判断を下しがたいものとして現れます。詩というものはそのようなサディズムによって書かれるために、対象を分析できず、対象の荒々しい存在の現場において対象の不透明さの前で屈服するのです。
 だから、詩は必然的に様々な態度を留保しなければならない。例えば結論付けること。評論や論文は結論付けることに意味があります。そのことによって、対象に理解の筋道を与え、対象を透明にします。また、例えば結末をつけること。小説や戯曲はたいてい明確な結末があります。それは物語の終了であり、そこまでに語られてきたことについて一応の決着を与えるものです。ところが、詩には結論も結末もない。理解の筋道が明確に与えられることもなければ、語られた内容について決着も付けられない。岩田の詩には、そのような詩の本質が如実に表れていると言えます。
 ところが、岩田も、ある一点においては留保しませんでした。

もともと詩人とは憑かれるべき存在だった。神が、自然が、霊感が、信念が、時には社会科学が、詩人というボイラーにとり憑くと、ボイラー内部の温度はどんどん上って、じきに圧縮された熱いことばが吐き出された。いわば詩人は一箇の道具であり、超越的なものの通過する道に過ぎなかったわけである。だが、現代の詩人たちは、このような巫女的な存在から、字義通りの創造者へ変貌する道程を、徐々にではあるが確実に歩んでいる。ことばによる被創造物を自由にコントロールするためには、憑かれる者であった詩人が、憑く者、積極的に対象へ乗り移るものにならなければいけない。(「演劇性について」より)

 岩田が留保しなかったのは、詩を書くということ、歌うということです。詩を書くべきか書くべきでないか、歌うべきか歌うべきでないか、そのような迷いは岩田には感じられません。そのような迷いにおいて受動的に歌ってしまうのではなく、自ら積極的に、神・自然・霊感・新年・社会科学に乗り移っていき、迷うことなく歌うのです。
 ところで、歌うという一点においてのみ留保せず、しかし歌うことをめぐる様々な問題について留保せざるを得ないというのは仕方のないことでしょう。サディストとして積極的に迷うことなく情熱的に歌う場合、余りにも対象を一挙にとらえようとするが故、対象は一層不透明になってしまうのです。岩田にとって詩人はサディストでしたが、サディストであるがゆえに、逆にいろんなことについて留保せざるを得なかったのです。



動物の受難


あおぞらのふかいところに
きらきらひかるヒコーキ一機
するとサイレンがウウウウウウ
人はあわててけものをころす
けものにころされないうちに
なさけぶかく用心ぶかく

ちょうど十八年前のはなし

熊がおやつをたべて死ぬ
おやつのなかには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

 さよなら よごれた水と藁束
 たべて 甘えて とじこめられて
 それがわたしのくらしだった

ライオンが朝ごはんで死ぬ
朝ごはんには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

 さよなら よごれた水と藁束
 たべて 甘えて とじこめられて
 それがわたしのくらしだった

象はなんにもたべなかった
三十日 四十日
はらぺこで死ぬ

 さよなら よごれた水と藁束……

虎は晩めしをたべて死ぬ
晩めしにも硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

 さよなら よごれた水と……

ニシキヘビはお夜食で死ぬ
お夜食には硝酸ストリキニーネ
まんぷくして死ぬ

 さよなら よごれた……

ちょうど十八年前のはなし

なさけぶかく用心ぶかく
けものにころされないうちに
人はあわててけものをころす
するとサイレンがウウウウウウ
きらきらひかるヒコーキ一機
あおぞらのふかいところに。

 言語というものは反復可能なものです。本来、物事というものは、一回限り、唯一のものであり、例えば昨日の私と今日の私は別物であるはずです。それでも、そのような違ったものさえも同じ「私」という言葉で反復してしまう。これは、それぞれの時点での私の差異を度外視した一種の暴力であります。本来なら、唯一でかけがえがなく、それぞれ異なっているはずのものを、同じ言葉で同一化してしまうのですから。言語は、ものごとの唯一性・かけがえのなさを破壊するのです。
 ですが、本当にそう言い切れるでしょうか。

 辞書によれば、「既視感」とは「実際は一度も経験したことがないのに、ある体験を以前にしたことがあるという感じがするような錯覚」である。(中略)さきに引いた辞書の説明を敷衍すれば、わたしたちのあらゆる体験は厳密にいえば一回きりのものである。にもかかわらず、日常的手順のなかでは体験は何度でも繰り返されるもののように見える。つまり、新しいのに新しくない体験をつねに強いられている状態、それがわたしたちの日常である、とでも言えるだろうか。(中略)既視感の定義を裏返すなら、新しくないと感じられる体験は、つねに新しいのである。(「誉むべき錯覚」より)

 ここで岩田は、経験もまた反復可能であることを述べています。つまり、本来は違っているはずの経験を同じ経験だと認識してしまう、人間にはそのような錯覚があるのだ、と。それが既視感です。ですが、岩田はそこで発想を逆転させます。既視感とは、かけがえのない個別の体験を同一のものとしてしまう暴力なのではなく、むしろ、同じものを新しくとらえなおすことなのだ、と考えるのです。過去の経験と現在の経験が同じように思われるけれども、実際は違う、現在の経験は新しいのだ、そのことに改めて気付かせてくれるのが既視感なわけです。
 さて、岩田の詩に戻りましょうか。この詩にはリフレインが多用されています。「さよなら よごれた水と藁束」以下や、動物の死、ヒコーキの襲来と獣を殺すこと。リフレインは同じものを繰り返すことですが、まったく同じ言葉が繰り返されていても、それは実は違ったものを指していると言えましょう。それはまさに既視感と同じ理由によるもので、言語という反復可能なものは、実は同じ言葉を反復しながらも違うものを指示しているからです。そして、岩田は、リフレインにおいて言葉を微妙に変えていきます。「さよなら よごれた水と藁束/たべて 甘えて とじこめられて/それがわたしのくらしだった」これが、「さよなら よごれた水と藁束……」になり、さらに「さよなら よごれた水と……」になり、さらに「さよなら よごれた……」となります。これは明らかに同じ詩行の繰り返しなのですが、その繰り返しのごとに差異が組み込まれていっているのが分かるでしょう。言葉を少し変えていくことによって、同じ物事を違った角度からとらえなおしていく。つまり、同じで新しくないものを、リフレインすることにより、新しいものへと変えていくのです。岩田は一見同じものを退屈に繰り返しているかのようですが、実はそこでは、同じものをつねに新しい角度からとらえなおそうという彼の詩的態度がうかがえるのです。
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# by sibunko | 2012-10-24 12:41 | 岩田宏

110.続・田村隆一詩集

110.続・田村隆一詩集

栗の木

そのとき
ジョージ・オーエルの『一九八四年』を読んだばかりの彼女が云った
「お店の名前は栗の木がいいわ」
ぼくはグレアム・グリーンのスパイ小説『密使』に夢中になっていた
 「いやD(デイ)がいいよ 反革命と戦うために
 石炭を買いにイギリスへ渡る
 『ローランの歌』の研究家Dがいいな」

ちいさな論争のあげく
DからDAY(デイ)ということになった

DAYは銀座裏の酒場(バー)の名前である
小説の題名でもなければ 孤独な中年男の頭文字(イニシアル)でもない

「そのとき」から七年たった
むろん、彼女もDAYもぼくの夢から消えてしまっている
四十歳の夢にあらわれるのは
一本の栗の木
十月の栗の実 あの
六月の栗の花の匂いだ

 この詩「栗の木」が収められている『緑の思想』という詩集は、1967年、田村が44歳のときに出版されています。『田村隆一詩集』で取り上げた「四千の日と夜」が収められている『四千の日と夜』という処女詩集は、1956年、田村が33歳のときに出版されています。その間、1962年、39歳のとき、翌年高村光太郎賞を受賞することとなる『言葉のない世界』という詩集を出しています。『言葉のない世界』は『田村隆一詩集』に所収されているのですが、重要なので、ここで同詩集のタイトルともなった「言葉のない世界」の部分を引用します。



言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない

 「垂直的人間」とは何でしょうか。あるいはそれと対比されている「水平的人間」とは。これも擬思想、つまりまがい物の思想であり、多様な解釈を許すと思います。ですが、「垂直的人間」というとき、その「人間」は第一次的には「詩人」であると思います。だから、田村は第一次的には「垂直的詩人」であったわけです。あるいは、「垂直的人間」とは第一次的には「詩人」のことを指していたと考えることも可能です。そうすると、田村の作品の中から垂直性を読み取るのが無難ではないかと思われます。
 垂直であるということは、まずは、水平的なものの流れをせき止めるということです。水が水平に流れている水路に垂直に板を差しこみ流れを止める。つまり、垂直ということは一つの停止であると同時に、その停止の際の衝突から物事が上昇していく、新たな発展を見せていく、そういうことです。水路の水は板でせき止められたとき、それでも流れようと垂直に盛り上がっていくはずです。垂直ということは、何らかの障害を設定することにより、その障害とぶつかるものを運動させ発展させることだと思います。
 さて、では田村の詩の垂直性はどのような点にあったのか。まず、「四千の日と夜」にあったような、倫理性。それは「水平的人間にとどまるわけにはいかない」という倫理性にも表れています。つまり、水平的人間であってはならないという規範、つまり水平的に流れてしまうことに対する障害、を設定し、それを自己にも他者にも向ける。この規範こそが垂直性なのです。そのことによって、水平的に流れてしまう態度を絶えず反省し、垂直へ向かうように田村自ら運動を続け、他者にも運動を続けさせる。
 次に、田村の詩に頻出する矛盾。「言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって」これは一見矛盾するように思われます。あくまで言葉を使っている以上常に言葉は存在するのであって、それによって言葉の存在しない世界を発見することは不可能なのではないか。読者はこのような矛盾に直面し、判断停止・宙吊り(エポケー)の状態に置かれます。この矛盾こそが垂直性なのです。読者は、言葉を使うからこそ、その言葉で覆えないものが見えてくるのだ、そして言葉で覆えないものはただ感覚され発見されるにすぎないのだ、例えばそういう解釈に導かれます。矛盾、つまり垂直性を詩の中に提示することによって、読者の水平的な読詩の流れを遮断し、読者に解釈や反省を強いる。
 さらに、詩の異化作用。「異化」とは、日常的なものを日常的ならざるあり方で再提示することです。異化こそが文学の本質だと論じていた学派(ロシア・フォルマリズム)もありました。異化とは暴力の行使でもあります。つまり、水平的に何のつまずきもなく滑らかに流れていく日常的な言葉のやりとりを破壊し、中断させ、異様な言葉を生み出すことで言葉の受け手に衝撃を与えます。「真昼の球体を 正午の詩を」この部分は、まさに詩の異化作用が如実に表れている部分です。日常的な言葉のやりとりで「真昼の球体」などという言葉はまず出てきません。真昼に何か充実するものを感じる、真昼に何かまとまっていくものを感じる、そしてその充実するもの・まとまっていくものは、なんとなく球体のようななめらかさ・完全さを備えている、そんな感覚を異化することによって「真昼の球体」という詩句は出て来たのです。この異化作用も垂直性だと思われます。
 さて、「栗の木」をもう一度読み返してみてください。ここには、倫理性も、矛盾も、異化作用もほとんどないことに気づくでしょう。つまり、田村はバーの成立の経緯を何の障害もなく、つまり垂直性に直面せずに、ただ漫然と思い出し、また、現在の日常的感覚を、これまた何ら垂直性に直面することもなく漫然と語っています。「栗の木は」その意味で極めて水平的な詩なのです。中期から後期に向かっていくにしたがい、田村の詩にはこのような水平性がどんどん現れていきます。佐々木幹郎は、「肉眼へ向かう感性の反乱」という対談の中で以下のように語っています。

「腐敗性物質」までは、水平的な資質にもかかわらず、垂直的な人間への憧れがあふれている。垂直にまっすぐ立つためには、骨格を持たなくてはいけないから、骨格を持った人間にあこがれるということですね。『緑の思想』(一九六七)以降は、骨格をなくした「クラゲ」になろうとしたという感じがするわけね。クラゲになると水平も垂直もありはしない(笑)。

 僕の言葉でいえば、「骨格」とは倫理性であり矛盾であり異化しようとする意志であるわけですが、いずれにせよ、中期以降の田村においては、垂直とか水平とかそういう契機が混ざり合っていて、混沌としていきます。



青い十字架

 ゴルコンダというインドのワインを飲んで そのワインは赤だったから その刺激的なタンニンの味が ぼくらの舌を形づくり 太陽と葡萄の結晶物 不定形で流動的な結晶物は やがて咽喉部の暗い通路を まがりくねって降りて行くと

(中略)

 ぼくらの心は インドのワインで燃えていたから創造的な芸術家 つまり批評家も立ち聞きしてくれない泥棒になるよりほかになかった インドの星を瞶めているうちに

 青いサファイアの十字架を狙って 神父に化けた大泥棒 その正体を見破ったカトリックの坊さんが云ったっけ――「あんたは理性を攻撃したではありませんか。それはよこしまな神学でな」

 太陽がのぼり 青い十字架は消滅する 内なる芸術家も批評家も行方不明になって ぼくと青年は 神々と動物と性とがはげしく呼吸しあい 空に向かって歓声をあげながら墜落して行く高塔寺院の方へ

 この詩は、1976年、田村が53歳のときに刊行した詩集『死語』に収められています。処女詩集を刊行してから20年。『四千の日と夜』では極めて垂直的だった田村がだいぶ水平的になっていることが分かります。「ゴルコンダ」という固有名の使用。「ワイン」という生活語の使用。田村は、音楽的で倫理的で矛盾をたくさん抱えた初期の詩編の境地には耐えられなくなった。

 やはりそれは、私としても現実的な手がかりがどうしても必要なんで、それがなくてはちょっともたないですよ。その意味で、たとえば『四千の日と夜』のようなやり方だけでいったら、とても生命がもたないですね。外的なものをもつということは、だから一つのぼくの健康法だろうと思うんですけど、それはしかし、ただ易きについたわけではないんですよ。現実的な手がかりを得ることによって、もっと違う深みが見つかるのじゃないかというようにぼくは思ったわけです。

 「恐怖・不安・ユーモア」より。現実というものは、何よりも一番存在することが確かなものです。そこには家族もいれば友人もいれば住居もあれば生活もある。何よりも、自分自身のありのままの姿がある。その現実の手触りはとても温かい。現実と触れていることは、あらゆる生活の事物と無意識的・意識的な結合関係に立つということであり、人間を安らかにします。現実的な手がかりというものを語ろうとするとき、どうしても必要なのが、現実に存在する人や土地の名前、つまり固有名であり、実際に生きるときに用いる様々な道具の名前、つまり生活語であるわけです。でも、中期以降、田村が現実へと向かってもなお失われなかったモチーフがありました。それが「恐怖」のモチーフです。少し田村の「恐怖」についての考えを聴いてみましょう。同じく「恐怖・不安・ユーモア」より。

 自分には確かに恐怖というものが一貫して大きな動機になっています。いわゆる現代的な詩人の詩というのは、恐怖よりむしろ不安、不安というものが大きなモチーフになっているわけですよ。その原動力になるものはというと、欲望なんです。欲望がなかったら不安とか不平不満とかいうものは生れないですからね。

 そして、欲望を軸にすると状況に依存した相対的な怒りしか生じない。だが、状況に依存しない絶対的な怒りも必要なのではないか。不安を軸にすると敵が見える。だが、そのようにして敵を存在させるのではなく、「人間の存在そのものに対する本質的な恐怖」が必要だ。不安と恐怖が交わったところで詩がかければ立派な詩が生れる。そんなことも言っています。
 ここに見てとれるのも田村の水平性と垂直性の交わりです。欲望を抱くことは、状況に対抗することであり、垂直的なことです。ですが、田村は欲望を抱くなと言う。これは状況に対して受動的であり、水平的なことです。ところが、欲望を抱くことは垂直的でありながら、絶えず状況という水平的なものにからみ取られ、水平的なものに脅かされ続け、不安を感じるということです。それに対して、欲望を抱かず、不安を感じないということは、状況という浅い水平的なものに依存せずに、より根源的な水平性、すなわち人間の本質というものに鋭く刺激され、そこから恐怖という垂直的なものを生み出すということです。状況という水平性は浅く、状況から脅かされることで生み出される不安という垂直性も浅い。それに対して、状況などという相対的なものに翻弄されず、むしろ人間存在という絶対的な水平性に対して神経をとがらせていて、その根源から、鋭く絶対的な恐怖という垂直性を感じ取るということ。これこそが田村の一貫した倫理であり、一見状況に対して水平的・受動的でありながら、人間存在については鋭く垂直的であるという、田村の本質がここにあります。
 さて、「青い十字架」を読み返してみてください。「不定形で流動的な結晶物は やがて咽喉部の暗い通路を まがりくねって降りて行くと」とあるように、不定形なものに対する恐怖、暗くて狭い通路に対する恐怖、曲がりくねることの恐怖など、この詩には恐怖が深く刻印しています。そしてこれらの恐怖は恐怖であって不安ではないのです。その都度その都度の社会状況、あるいはこの詩が書かれたもとになった体験の状況、そういうものからは独立し、純粋に根源から湧きあがってくる恐怖、それがこの詩には描かれていて、この「恐怖」のモチーフは、田村の詩においてはずっと維持されるのです。
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# by sibunko | 2012-10-24 12:39 | 田村隆一

1.田村隆一詩集

1.田村隆一詩集

四千の日と夜

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した

聴け、
雨のふるあらゆる都市、熔鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の日の憐みを
われわれは暗殺した

記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した

一篇の詩を生むためには、
我々はいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない

 まずこの詩をよくお読みください。まず、ここで語られている思想、そしてここで語られている事実がよく理解できない、というのが多くの人の持つ感想でしょう。詩を書くために愛するものを殺す必要なんてあるのだろうか? しかも殺し方は、射殺、暗殺、毒殺と具体的に書かれています。そもそもここで言われている「多くの愛するもの」とはいったい何なのでしょう。2連目以降に、射殺の対象が「四千の夜と四千の日の逆光線」、暗殺の対象が「四千の日の愛と四千の日の憐み」、毒殺の対象が「四千の日の想像力と四千の夜のつめたい記憶」と明記されています。ですが、逆光線や憐みや想像力や記憶を殺すとはいったいどういうことでしょう。
 そもそも「四千の日と夜」の「四千」とは、敗戦からこの詩が書かれるまでに経過した日数を表しています。大体10年ということになりますね。戦後10年というと、まずはGHQの支配があり、日本国憲法が作られ、日本は非軍事化・民主化されます。農地改革によって地主から小作人は解放され、農民は勤労意欲が増し、農業は活気を増していきます。労働改革によって、労働者は団結権・団体交渉権・争議権を獲得し、資本家から搾取される立場から、より自立して意見が言える立場に変わっていきます。財閥解体によって、産業には革新的な企業が参入し、競争的な市場が形成されていきます。人々の生活においては、闇市が横行し、食糧難があり、浮浪児があふれる、そんな中で人々は貧困を克服していこうとします。1950年には朝鮮戦争があり、日本には朝鮮特需がもたらされます。 米軍が軍需物資やサービスを日本に発注したのです。これにより日本は大きな経済成長を遂げます。1951年にはサンフランシスコ講和条約・日米安保条約が締結され、日本は占領から解放されると同時に対米従属的な立場に立つようになります。1955年には、自由民主党と日本社会党が成立し、保守・革新の二大政党を軸とする55年体制ができます(以上、中村政則『戦後史』(岩波新書、2005年)参照)。このような社会的状況の下で、『四千の日と夜』という詩集は書かれ、そして、詩集のタイトルともなった、上掲した「四千の日と夜」に言う四千日とは、このような政治的な激動とその社会的反映に彩られていたのです。
 まず、「日と夜」というのは、昼と夜、あるいは一日と夜という具合で、結局一日のことを表します。だったら、「四千の日と夜」などと言わずに簡単に「四千日」と書けばよかったのではないか、という単純な疑問が起こります。ところが田村はあえて「夜」を強調した。これはある意味奇妙なこととも言えるでしょう。というのも、戦後の四千日、つまり十年間というものは、確かに食糧不足などネガティブな事情も多かったでしょうが、上で見たとおり、民主化・自由化・平等化・経済発展という、ポジティブな事情の方が多かったからです。そのようなポジティブな前進的な四千日を、あえて「四千の日と夜」と「夜」を強調しなければならなかったのは、一番大きな理由は田村の戦争体験でしょう。田村は16歳のとき、中桐雅夫編集の「LE BAL」という詩誌に参加しています。「LE BAL」のパーティーで、鮎川信夫、森川義信、衣更着信、牧野虚太郎、三好豊一郎らと知り合います。ところが、彼が18歳のときに太平洋戦争開戦。1942年、彼が19歳のとき、鮎川、中桐が陸軍に応召され、森川が戦死します。年長の文学仲間が相次いでいなくなり彼は孤独を感じます。そして、1944年、21歳のとき彼も海軍に配属されます。開戦のとき、彼は「もうおしまいだと思った」そうです(「「若い荒地」を語る」より)。いくら戦後の10年が明るさを目指していたとしても、田村はいつまでも「夜」としての戦争体験を引きずっていた。だから彼は単純に「四千日」と書かずに「四千の日と夜」と書かざるを得なかったのだと思います。
 さて、話を元に戻しましょう。四千の日と夜の逆光線や愛や憐みや想像力や記憶を殺すとはどういうことか。ここで列挙されている逆光線などは、あくまで例示に過ぎないと思います。つまり、入れるつもりになれば他の言葉をここに入れてもよかった。逆光線とは逆らってくるあらゆるものの象徴、愛などは人間のあらゆる精神活動の例示、そう読んで差し支えないと思います。つまり、この詩は、一篇の詩を書くためには、戦後10年間の光(日)と影(夜)にまつわる、逆らって来るものや精神活動を滅さなければならないということを言っているのです。これはある意味矛盾しています。つまり、戦後10年の文化的経済的発展という、「日」の部分によって引き起こされる精神活動などを殺すと同時に、戦後10年を経てもその根底に絶えず横たわっていた、戦争という「夜」の記憶によって引き起こされる精神活動などをも殺さなければならない。発展を殺し戦争の記憶へと回帰すると同時に、戦争の記憶への執着をも殺し、発展・前進へと向かおうとする、相反する二つの傾向性がここに見てとれるのです。この詩には田村のそのようなジレンマが刻印されていると言えるでしょう。



 少し技術的な点を見ていきましょうか。まず気付くのは、この詩が非常に倫理的であるということです。「倫理的」とは、人がなすべきことを多く告知したり、人の間違いを非難したり、そういうことです。つまり、人が従うべき規範を提示して、それに反してはならないと命令し、それに反した場合はその違反を告発するということです。「われわれは殺さなければならない」という規範(ルール)の定立。「見よ」「聴け」「記憶せよ」という命令。一方で、「われわれは暗殺した」というような罪の告発もあります。倫理的であるということは、読者に対して攻撃的であるということです。読者に命令したり読者を非難したりするということです。つまり、この詩は読者に対する働きかけが非常に強い。読者の身を正したり、読者に反省を強いたり、読者の心を引き締めたりします。ところで詩というものは、多くの場合読者の感情への何らかの働きかけをするもので、読者の感情を揺り動かす抒情性が、多くの詩の存在条件となっています。ところが、田村の読者の感情を動かす仕方は特異なのです。それは単純に、読者を感動させたり読者に甘い感情を抱かせたり読者を戦慄させたり、そういう感情の動かし方をするのではなく、むしろ読者の感情を引き締め、読者の感情を純粋なものとし、さらには感情を超えて読者に意志すら抱かせます。つまり、「詩を書くためには何かを犠牲にしなければ」という意志です。倫理的であるということは、ありがちな抒情を生み出すことではなく、読者の感情を引き締めたりという特殊な抒情を生み出すことであり、それにとどまらず読者に意志すら抱かせるということでもあるわけです。
 それを踏まえた上で内容面に立ちかえりましょう。田村は、一方で、詩を作るためには愛するものを殺さなければならない、という規範を示しています。他方で「一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、/四千の夜と四千の日の逆光線を/われわれは射殺した」と語り、詩を書く欲望のために愛するものを殺した、その詩人の罪を非難しています。「小鳥のふるえる舌がほしい」とは、結局詩を書きたいということの喩えでしょう。これを見ると、田村は倫理的態度においても分裂し、ジレンマに直面していたことが分かります。詩を書くためには殺せ、と能動的に命令する一方、詩を書くためにはしぶしぶ殺さなければならないのだ、と受動的に世界に屈服しています。そして、殺すことは結局詩を書く欲望に駆られてのことであり、それは罪なのだ、と能動的に断罪する一方、自らもその罪を犯したのだ、と受動的に懺悔もしています。結局田村は、詩を書くということがそれほどまでに倫理的なことであり、そしてその倫理性は複雑なジレンマの渦中にあるということを示しています。そして、そのジレンマを問題として読者、特に詩人に投げかけることが、結局はこの詩が最も成功裏になしえていることであるのでしょう。
 さらにもう一つ技術的な話として、この詩が定型と音楽性を備えていることを挙げる必要があると思います。まず、音楽の構成要素は原則的に楽音と呼ばれるものです。楽音とは、音の高さが明確に分かる音のことで、音の高さが良く分からない噪音と区別されます。噪音とは、自然に起こる雑音のようなものです。初期の田村の詩には、楽音に対応するような単語が好んで使われています。逆に言うと、噪音に対応するような固有名や生活語が排されているのです。固有名はあまりにも強く対象と結びついているので、対象の雑多なあり方まで詩の中に持ち込んでくるので、音楽で言ったら雑音に対応するようなものです。例えば、「岩手」というと、あの岩手県と直接に結び付き、岩手の風物やら歴史やら文化やらあらゆる雑多なものが詩の中に舞い込んできます。そして生活語はあまりにも読者の雑多な実体験と結びつきすぎて、これも雑音になります。例えば、「シャンプー」と言うと、あまりにも読者の生活と密接につながり過ぎて、生活の生々しさや煩わしさや、シャンプーにまつわる様々な雑多な実体験を呼び起こします。それに対して、「小鳥」という言葉のなんという抽象性。どんな特定の小鳥とも結びつかないゆえに、対象の生の雑多なあり方を詩の中に持ち込まず、ただ観念的に小鳥の抽象的で普遍的な性質を指し示すのみです。初期の田村の詩には、このような抽象的で観念的で、音楽を構成できる楽音に対応するような単語が好んで用いられているのです。だから、まず、構成要素の次元で、田村の詩語は、楽音に対応し、そもそも音楽を可能にします。
 次に定型の問題。「見よ、/四千の日と夜の空から/一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、/四千の夜と四千の日の逆光線を/われわれは射殺した」第二連のこの構造は、第三連、第四連でも繰り返されています。「聴け・・・暗殺した」「記憶せよ・・・毒殺した」、ここでは、同じ構造の繰り返しにより、その構造が一つのメロディーを明確に形成し、さらに「見よ」「聴け」「記憶せよ」にアクセントが置かれることで明確なリズムが形成されています。もちろんどんな文章にでもメロディーやリズムを読み取ることは可能ですが、同じ構造、同じ型の繰り返しは、繰り返しにより強いリズム感を生み、また繰り返されることでその構造のメロディーが強調されます。定型はメロディーやリズムを明確な形で生み出すのです。
 だから、田村の詩は、そもそも音楽を構成することのできる抽象的な語によって構成され、さらに定型を持ち込むことによりメロディーとリズムを顕在化させていて、まさに音楽を奏でていると言っていいでしょう。田村の詩を読んだときの心地よさは、まさに音楽を聴いたときの心地よさと似ているのです。



 ところで、田村は詩において多くの思想を語った詩人であります。特に詩や詩人についての思想を、詩の中で多く語っているのが特徴的です。「四千の日と夜」は、その意味でも田村の詩の特徴が見えやすい詩です。詩を書くこと、詩人のなすべきことについて書いているのですから。ところが、初めに言ったように、ここで語られる思想は難解です。理解するためには解釈が必要で、その解釈も絶対に正しいとは言い切れません。僕は、この詩の思想の解釈として、詩を書くためには、戦後の発展を殺し戦争の記憶に回帰すると同時に、戦後の記憶への執着も殺し前進することが必要だ、という解釈を提示しましたが、これが正しいという決定的な根拠はありません。
 このような思想、つまり、何か思想を語っていそうだが、当の思想をよく理解しようとすると肩透かしを食わせられて、結局思想の真の意味が良く分からない、そういう思想のことを「擬思想」と呼びましょう。まがい物の思想、という意味です。なぜそう呼ぶかというと、思想というものは、本来論理的で説得的で体系的で明快でなければならないからです。論理性などを備えていないけれど思想の外観だけは備えている、そういう記述のことを「擬思想」と呼びましょう。
 思想を詩で書くためには、擬思想にならざるを得ないと思います。本当の思想を書いてしまったら、つまり、論理性・説得性・体系性・明確性をそなえてしまったら、それはもはや論文であり詩ではなくなってしまうからです。そして、詩というものは反省や熟考を重ねて整合的な体系を備えるようなものではありません。むしろ、詩というものは、人間の脳裏をよぎる刹那的な思想や感情や認識などを、その原初的で揺らぎを含みいささか極端である、そのままの状態で写し取るものです。言葉がない状態から言葉が発生する状態への動的な移動、言葉が様々な不確定な要素を含んで混沌としているその原初的な状態を写し取るのが詩であるわけです。だとしたら、そこで現れてくる思想というものも、体系性などを備えた本物の思想になるわけがありません。思想の萌芽、つまり、まだ十分整備されていず、思いつきの熱がさめやらない、いささか極端で多義的である、そういう擬思想こそが、まさに思想が詩の中に現れるときの正しい在り方なのです。
 そして、田村の気質が、擬思想によく合っていた。著書『若い荒地』を読むと分かると思いますが、田村の散文は飄々としていて軽妙であり、逆に言えばとても浅いです。優れた批評意識や、物語をちゃんと構成する意識、物事を熟考する意識などは乏しかった人です。また、田村はお酒が好きで、お金を借りても返さない人だったようです。生島治郎によると、田村は、早川書房の編集長をやっているときでも、いつも酒気を帯びて出勤し、ただ編集室の奥の三畳間で横になっていたばかりだったそうです。「おい、そんなに仕事をしすぎるとオテント様のバチが当たるぜェ」などと言っていたそうです。(「酔っ払い編集長~田村隆一氏のユーモア」より)。つまり、田村は社会に対する責任意識というのが薄かったのです。その責任意識の薄さが、詩にも反映されていて、熟考しない思想、体系のない思想、不明確な思想、というものを可能にしたのだと思います。責任意識が強ければ、思想を語る以上擬思想であってはならず、本当に論理性や整合性を持つ明確な思想を語らなければと思いがちだと思います。
 とりあえず第一冊目はここまで。ぜひ現代詩文庫『田村隆一詩集』を手にとってお読みになることをお勧めします。
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# by sibunko | 2012-10-24 12:28 | 田村隆一