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12.詩と科学

詩と科学

飄然(へうぜん)と家を出(い)でては
飄然と帰りし癖よ
友はわらへど
   (石川啄木『一握の砂』より)

PV=kT(ボイル=シャールの法則、Pは圧力、Vは体積、Tは絶対温度、kは定数)

 上は短歌であり、下は自然科学の法則です。この二つを比較しただけでも、詩と科学は全然違うのではないか、という直感を抱くのに十分でしょう。
 まず、自然科学の対象は何か。それは、私たちが生活で出会う生の具体的な経験ではありません。自然科学の対象は、時空間に関係づけられていて、数量化・抽象化される、何度でも再現することのできるものです。V(体積)とは、空間の抽象的な量であり、数字で表され、例えば1リットルであったらその1リットルを、水を汲んだりすることで何度でも再現できます。そして、自然科学の法則は文脈に依存しません。例えば「私」という言葉は、伊藤さんが話せば伊藤さんを指すし、後藤さんが話せば後藤さんを指す、という具合に、言葉が発された状況によって意味が違います。ところが、自然科学の法則は、伊藤さんがそれを用いても後藤さんがそれを用いても意味を変えることはないし、伊藤さんが用いても後藤さんが用いても同じように役に立つのです。さらに、ボイル=シャールの法則を見ればわかるように、圧力(P)と体積(V)が分かれば自動的に温度(T)が厳密に分かることになっています。このように、自然科学は、法則による推論によってどんどん新しい認識を増やしていくのです。つまり、自然科学は、明確に意味の定まった抽象的な「概念」(圧力、体積、温度など)を用いて、推論によってどんどん人間の外界に対する認識を増していくのです。
 それに対して詩はどうでしょうか。まず、詩は、私たちが出会う具体的な生の体験を語ります。しかもその体験は一回限りで、二度と繰り返すことはないものです。そして、詩が描く体験というものは、決して数字などで表されるものではなく、その体験をめぐる状況・文脈に依存しており、詩の言葉は自然科学の概念のように明確な意味を持っていません。例えば、上掲した歌にある「家」という言葉。これは、自然科学における「体積」のように、抽象的に数量化されたりはしません。むしろ、「家」という言葉は、それにまつわる様々で雑多なものを詩の中に持ち込みます。例えば、ガストン・バシュラールというフランスの哲学者は、『空間の詩学』において、家という言葉の呼び起こすイメージを非常に細密に描いています。例えば、家は「われわれの最初の宇宙」であると言っています。家は私たちが生まれる場所であり、幼年時代を過ごす場所であり、私たちが眠る場所であります。詩の言葉というものは、連想によって、その言葉にまつわる様々な人間の体験を呼び起こすものなのです。
 デイヴィド・アームストロングはジョン・ロックという哲学者について次のようなことを言っています。

ロックは『観念』という語を異常に幅広い仕方で用いる。それは少なくとも次のものを含んでいる。
(a)感覚知覚(感覚印象)
(b)体感(痛みとかくすぐったさのようなもの)
(c)精神的心像(イメージ)
(d)思考と概念
一つの語でもってこのように異質な事物の集合を含むという用法が、ロックをしてあらゆる種類の誤謬へと導いているのである

 アームストロングは、ここでロックを非難しているわけです。ところが、詩を書いたり読んだりする者の立場からすれば、ロックの「観念」とはまさに詩の言葉そのものを言い当てているということができるでしょう。先ほどの「家」という言葉だったら、啄木が見たその具体的な家の見え方、家を出たり家に戻ったりするときの歩いたりという身体感覚、そのとき啄木が家について抱いている感情、考え、そういうものがすべて「家」という言葉(観念)に含まれているのです。そういう異質な事物の集合を含むのが詩の言葉であり、さらに異質な事物へと開かれていくのが詩の言葉なのです。「家」は啄木がそこから出たりそこへと戻ったりする場所ですが、その様子を友人は笑います。そのように、詩の言葉はそれにまつわる出来事へとつながっていき、その出来事はさらに出来事を生むという具合に、どんどんと世界の生の具体的なあり方に従って広がっていきます。
 自然科学は、物事を抽象化・数量化し、何度でも再現可能なものとします。また、物事を明確な意味を持った「概念」で把握し、さらに数学的推論で人間の認識を厳密に増していきます。それに対して詩は、物事をあくまで具体的なものとしてとらえ、物事をそれが置かれた状況・文脈のもとで捉え、物事のかけがえのなさ、一回限りであることを重視します。また、物事を雑多な「観念」で把握し、物事と物事を連想でどこまでもつないでいき、偶然的な出来事の連鎖に対して目を開いています。

参考文献
ガストン・バシュラール『空間の詩学』(岩村行雄訳、ちくま学芸文庫、2002年)
イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』(伊藤邦武訳、勁草書房、1989年)
小林道夫『科学哲学』(産業図書、1996年)
by sibunko | 2012-10-25 02:35 | 初心者への詩論(詩と向き合う)