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戦後詩を現代に読み直す際の留意点

 第二次世界大戦は未曽有の惨事で多くの人たちの心に傷を作った。単純に図式化すると、詩には二つの直行するベクトルがある。一つは、詩が実存や傷から垂直に表現されるベクトル。もう一つは、詩が言葉の次元で綾を織り成す水平的なベクトル。戦後詩には当然戦争の傷から発される垂直的なベクトルが強く作用しているわけであるが、そこにはモダニズムその他の様式上の要求から水平的な圧力が常に作用していた。いわば戦後詩は斜め上方へと表現されていったわけである。その斜め上方へと向かう向かい方も、詩人によって様々だった。

 また、戦争と平和という対立軸も重要である。戦後、人々の心は平和へと向かっていったわけであるが、その深層には戦時の荒廃がいつまでも残り続けた。そして現代は一見平和である。平和な時代、人々は語るべき実存上の問題を持たず、ひたすら水平的に言語的な実験を繰り返しがちのようにも思える。だが、現実は、平和と思われている現代においても個人の生々しい傷は頻繁に表現される。

 そもそも、戦争という体験はもはや相対化されなければならない。もちろん震災にしてもそうである。戦争でも震災でもなくても、個人の人生は悲劇に満ちているわけであり、平和な時代に例えば虐待などの悲劇が詩化されても一向におかしくない。そして、悲劇もまた相対化されてしかるべきである。詩人はもはや不幸である必要がない。栄光や喜びを詩として歌い上げて何が悪いのであろう。詩はもはや敗者の所有物ではなく、勝者も嬉々として詩を綴ってよいのである。

 現代においても、人々は例えば就職や結婚などによって異なった質の生活に突入する。初めは新しいことばかりで慣れず、様々な不条理な思いをすることであろう。だがそれにもいつか馴致され、人々は一層内面を深めていくわけである。もちろん戦争ではそれが如実に起こった。人々は徴兵され、軍隊での不条理な出来事にさいなまれ、それでもいつしか慣れていくことにより内面的な深みを獲得していったわけである。だがそれは現代でも同じことである。現代では情報化の波や高齢化の波によって新たな生活の質が形成されていっている。人々はその新しい波に突入しながら徐々に慣れていき、その内面を深めていくのである。

 詩人とは無限に接する人間のことである。人生のレールという有限な道筋から少し外れ、その外側に広がる無限の存在を探求する存在のことである。詩人にとって無限は虚構の形をとるかもしれないし、微細な認識の形をとるかもしれない。戦争には戦争の無限があった。同じように現代には現代の無限がある。

 確かに、戦争の傷跡は大きかった。それは質的にも量的にも特異なものであったことは否めない。戦争が詩の表現に与えた影響は大きい。だが、詩が表現される際には、戦後でも現代でも同じような構造が働いているのであり、その共通性を認識したうえでさらに戦後の特異性を探っていかなければならない。逆に言えば、戦後詩の表出のされ方を探ることは現代の詩の表出のされ方を探ることにも大いに役立つのである。戦後詩の構造を探ることは、現代の詩の構造を探ることにつながっていくのである。


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by sibunko | 2018-08-13 11:10 | エッセイ