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さらばロックンロール

 ロックはよく「とがっている」と言われる。だがこのとがっているということはどういうことだろうか。

 まず、柔軟さがないということ。そして、周りを傷つけやすいと同時に自分も少しの衝撃で折れてしまいかねないということ。自己防御ばかり強くて、孤独の殻に閉じこもり周りに自分を開いていかないということ。

 ロックは現状の不満をぶちまける。ロックはネガティブに悩む。ロックは子どもらしい理想をいつまでも持ち続ける。ロックは社会で挫折する。ロックは恋愛に支えを求める。実際のロックミュージックは多様であるが、私はおおむねロックをそのように受容してきた。そして、ロックミュージックのこれらの特性というものは、よく詩を書く者の共感を得てきた。人によっては端的に「詩はロックである」と言ったりする。

 だが、ロックの精神性は貧しいし、ロックの精神でとらえられた世界というものもまた貧しい。ロックにありがちな偏屈な硬直した感性では十分に世の中をのびのびと感受できないのは明らかだ。たしかにロックの感性は鋭く繊細かもしれないが、感受したものを孤独な自己陶酔の世界の中で自己完結させてしまうきらいがある。鋭く繊細に外界を感受しながらも、それをおおらかで柔らかい精神でとらえ直し発展させていくこと。そこにしか世界を広げていく希望はないと思う。

 また、基本的にロックの世界は加害と被害の世界である。だが、人間の外界との関わりは、もっと多元的で多様なものである。攻撃性やトラウマだけで説明できないのが関係性というものであり、それは例えば調停であったり交渉であったり和解であったり、そういう対立を乗り越えたり対立を回避したりする精神が世界を広げていくのである。

 人間は夢見がちな存在であるから、何かあるごとに理想や夢を抱いたりする。だがそれはほとんどの場合現実の前で打ち砕かれる。そこで傷ついたまま立ち直れないようではいけないのだ。理想と現実との二項対立なんて軽やかに乗り越えていけばいい。理想を求めることで、少しでも現実を改善できていたかもしれないし、現実の中にも理想に近い良い面はたくさんあるだろう。理想と現実を対立項とみなすよりは、ありがちな精神の一つの運動として、理想と現実のやりとりを柔軟に乗りこなしていくこと。理想がついえても折れてしまわず、さらなる現実的な目標を設定できる強靭さを手に入れること。

 また、人間は孤独ではない。生まれた時点で親とつながっているし、多くの人との関係の中で育っていき生活していく。確かに孤独感を感じることはあるが、それよりも自分を取り巻く膨大なネットワークにこそ敏感になり、そのネットワークを微細に感じていくことが自らの世界を広げていくことになるのだ。

 つまり、ロックには柔軟さがないし、ロックは閉じこもっているし、ロックは広大で豊穣な現実を直視できていない。「さらばロックンロール」この言葉から詩の広い世界は始まっていく。


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by sibunko | 2018-08-13 11:11 | エッセイ