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南相馬日記

 転勤で南相馬勤務となった。南相馬というと、福島第一原発の北30km以内の都市である。だが、空間線量は福島市より低い。南に行けばもちろん線量がどんどん高くなるが、市街地では暮らしに特段の問題はない。

 南相馬で暮らしていると、空き店舗が目に付く。かつては大展開していたであろう大手小売店が、もはや営業を休止して戻ってこないのである。もちろん、営業を再開した店舗の方が多いわけだが、それでも空き店舗は目立つ。

 また、大型トラックや特殊車両の通行が非常に多い。国道に限らず、至る所に大型トラックが走行していて、工事が大量に進行中であることを示している。そして、コンビニに行けば除染作業員の姿が目に付く。

 この間近所の美容室に行って散髪をしてもらった。美容室のおばちゃんはしゃべりたがりで、いろんな話題で盛り上がった。事故の後群馬へ避難したこと。その後戻ってきて美容室を再開したこと。本心としては群馬にとどまっていたかったことなど。

 このように、南相馬での生活は、私に対して否応なしに震災と原発事故を突きつける。それによって営業を休止した店舗、その復旧のための工事の車両、その具体的な体験をじかに聞くこと。もはや震災と原発事故はメディアなどで収集された情報ではなく、「生活」そのものであり、じかに「体験」されるものである。

 最近の私にとっての詩の源泉は「生活」であり「体験」である。とすると、私の詩が実体験に基づけば基づくほど、そこには震災の爪痕が否応なく入ってくることになる。そこでは震災自体は語られない。ただ、震災後一定の時間がたってもなお残る震災の爪痕がどうしても詩の中に入ってくることになるし、震災の爪痕の体験は強度の体験であるため、詩の題材としやすい。

 好奇の対象や一つの歴史的事件として震災を作品化するのではなく、ただ自分の生活の中に否応なく入ってくる実体験として震災の爪痕を作品化すること。私はそのような震災―後―詩を書こうとしている。


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by sibunko | 2018-08-13 11:57 | エッセイ