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カテゴリ:エッセイ( 34 )

詩集を二冊出してみて

 私は思潮社から詩集を二冊出している。『zero』(2015.3)『vary』(2017.6)である。詩集を出してみて感じたのは、確かに自分は歴史に参画した、という手ごたえである。
 それまで私は現代詩手帖に投稿したり、同人誌を出したりしていたが、詩集を出すのはそれらとは一線を画す行為である。それはやはり現代詩の歴史の一つのページを作る行為であり、なぜかというと周囲に与える影響が大きいからである。
 詩集を出すと、まず雑誌に広告が載るし、アマゾンで販売されるし、大手書店の店頭にも並ぶし、書評も出れば手紙も多数届く。とにかく周囲に与える影響が尋常でない。それはやはり一つの事件なのであり、これだけ多くの人を巻き込む行為は人生の中でもそうあるものではない。自分の生み出したものがしっかりと他人の中に、社会の中に根を下ろすということ。詩集を出すということはそういうことだ。
 第一詩集『zero』はほとんど現代詩手帖投稿欄に掲載された作品で構成されている。35歳の時に出した詩集だが、作品は25歳~29歳の頃に書いている。幾何学的・造形的・抽象的・寓話的であり、生活臭をとことん排し、独自の語りの水準で作品世界を作り出した。
 第二詩集『vary』も、3分の1くらいは現代詩手帖掲載作品を載せ、あとはそののちの社会性や実存性を備えた作品で埋めた。詩人というものが30歳を経過することでどのように変容していくか、それを跡付けようとした。
 売れ行きは第一詩集の方が良いようだ。だが評価としては第二詩集の方が高かった。第一詩集は単なる作品集、第二詩集は明確なコンセプトに基づいた実験詩集というのが私の中での位置づけである。
 詩集を出すことで私は盛大に承認された。それらは何かの賞を獲得したわけではないが、色んな人からいろんな反応を受け、私は自らの行為がここまでの承認を獲得したのは初めてだった。詩集を出すということは私の人生の中でも大きな事件なのであり、それは否応なく自らの立ち位置を変えていく。盛大な承認を得ることは詩作に対する余裕を生むし、自らの自己評価を高める。健全に自己を承認できる大人となれるのである。
 要するに、詩集を出すということは社会的にも実人生的にも事件なのであり、それは自らの社会的地位と自己承認を高める。たとえ自費出版であっても、詩人が詩集を出したがるわけである。
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by sibunko | 2018-08-13 12:02 | エッセイ

若さという幻影

 若さは一つの美徳である。これに対して疑義を挟む人は少ないだろう。人は若いからこそ美しく活気にあふれ、情熱にかられ、理想を追い求め、甘い苦悩に囚われる。そして、若いころにしか書けない詩作品というものがある。それは衝動的であったり装飾的であったり理想的であったりする。
 だがもちろん美徳というものは若さだけではない。若さにも様々な欠点がある。まず教養の不足と経験の不足。若い詩作品には表面的な美しさや実験性はあっても、懐の深さや実体験に根差した叙情が不足することが多い。次に現実意識や社会意識の不足。若い詩作品は現実から遊離し、社会的な意識に乏しいことが多い。自らの生きている凡庸な現実を嫌うことが多い。
 若さは美徳である一方で様々な欠点を持つ。だが多くの人たちは、大人として生きていくに従い、多量の教養と経験を獲得し、現実を直視することに慣れ、社会的な意識を獲得していく。そこには成熟した詩作品が成立する土壌が出来上がるのである。
 ところが、詩の世界では「若さという幻影」が根強く生きているように思われる。年老いてもなお前衛を気取り続ける詩人は多い。実験や修辞に囚われ続ける詩人も少なくない。「詩は若くなければならない」という強迫観念でもあるかのようである。それは失われた若さへの執着であるかもしれないし、気持ちを若く保っていないと美しい詩は書けないという思い込みゆえかもしれない。
 だが、繰り返すが美徳というものは若さだけではない。教養や経験、現実意識や社会意識に基づいたより射程が広く普遍的な作品は歳をとってからでなくては書けないのである。歳をとるということも美徳だということを詩人たちは忘れていないか。ここで明言しておこう。詩人にとって歳を取ることは美徳である。そして、年相応にそれまで豊かに獲得してきた諸々を存分に発揮していけばいいのだ。何も若さを気取る必要はない。「若さという幻影」に囚われ続ける詩人も多いだろうしそれには理由がある。だが、「若さという幻影」に対し、その魅力に抗しながら少しずつ距離を取っていくこと、そこに成熟した詩作品の成立する大地が開けるのではないだろうか。
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by sibunko | 2018-08-13 12:01 | エッセイ

言葉の個人史

 それぞれの詩人にはそれぞれの言葉の個人史がある。詩の中で用いる言葉は、かつてどこかで自分が書いた別の詩の中でも固有の位置を占めていたものである。例えば「水」という言葉をかつて別の作品で用いたとする。すると、その作品の文脈の中で「水」という言葉に詩人は固有の意味付けをする。「水」という言葉を新たに書く詩で用いる場合、その以前の意味付けをまとった「水」を用いるのである。詩人はそのようにして様々な作品で「水」という言葉を使うかもしれない。そうすると、それぞれの作品によって意味づけられた「水」という言葉が一つの歴史、系譜を作り上げるのである

 もちろん、この言葉の個人史の問題は作詩の領域の中に閉じるものではない。言葉は日常生活でも盛んに用いられ、詩人の日常での言語使用の文脈もまた言葉の個人史に影響を与える。日常生活を規定しているのはその人の生きる共同体や時代であるから、言葉の個人史には社会や時代の影響が刻まれる。例えば電車で通勤する詩人の作品の中では「駅」という言葉がその詩人独自の意味合いを生活から受け取るであろう。

 また、この個人史の問題は単語レベルで終わるものではなく、思想やテーマの問題にもかかわる。詩人がかつて一定のテーマのもとで思考し感受した内容は、当然後続の詩群へと引き継がれていく。思想やテーマについても詩人は個人史を持つのである。

 ところでこの言葉の個人史はきわめてプライベートなものであり、その実体は詩人自身にしか、しかも不完全にしか把握できない。言葉の位置づけは詩人の言語使用により絶えず流動するものであり、しかも複雑に錯綜している。言葉の個人史を詩人自体が語ることすら困難である。そこに批評家はどう介入するかであるが、もちろん批評家も一定の系譜を作り上げることはできる。特定の詩人が一定の言葉やテーマをどのようなダイナミズムで系譜的に使用していったか、批評家は一定のストーリーを作り上げることができる。だが、言葉の個人史はその詩人にしか本来知り得ないものであり、批評家の作り上げるストーリーとは次元の異なるものである。

 詩の読み手としての我々は、詩人一人一人の個人史の表面をなぞることしかできないが、それでもそこには様々な発見があるだろう。そして、詩の書き手としての我々はたまには自らの言葉の個人史を自覚的に語ってもよいかもしれない。


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by sibunko | 2018-08-13 12:00 | エッセイ

孤独の変質

 若いころの孤独というものはナルシシズムと不可分である。若いころ、人はよく孤独に陶酔する。自分が孤独であることに酔って、孤独である自分がかっこいいと思う。そのような孤独な陶酔する主体が書いた詩というのは数多くあり、若い孤独を失った人でも詩を書くときはいっときその幼い孤独を取り戻すかのようだ。だが、このような狭隘なナルシシズムから生まれる文学が人間の全的な表現になるとはとても思えない。自己の殻にしっかり閉じこまってしまった状態で、人間や世間の総合的な表現など不可能であろう。

 人間の成熟に伴って、孤独はその構造を変えていく。もはや人は社会的に無責任ではないし、現実を直視するようになってくるし、様々な連帯を経験してしまっている。社会的な責任を果たしていく中で、必然的に他者と共に生きている存在として自分をとらえるようになっていくし、現実の苦さは自己の聖域を作ることをもはや許さないし、他者との実存的な連帯の経験は孤独な実存を複雑化する。

 そうすると、もはや孤独は純粋なものではなくなるし、孤独が自己愛的なものでもなくなってくる。孤独はもはやそこで陶酔する幼い聖域ではなくなってしまうのである。孤独な実存は常に他者に浸食されている、つまり、人はもはやその成立においても持続においても他者との複雑な関係性を抜きにしては語れなくなる。そうであるからこそ、人間はもはや孤独と自己愛を分離してしまう。なぜなら孤独な実存の中にはすでに他者が包含されてしまっているので、それを率直に愛することができなくなるからだ。人はもはや孤独に単純に酔うことができない。孤独は酔えるほど甘美なものではなく、何やら複雑な味わいのする他者との相克の現場となるのである。

 自己はもはや高山の頂に聖別された神殿などではない。多数の人間が往来する交差点に過ぎない。そのような自己を愛するということは、純粋に自己の内部で自足することではなく、他者や社会へとあまねくまなざしの範囲を拡散することに他ならない。もはや自己を探求することはすなわち他者や社会を探求することである。自己を愛するとき、そこにもはや純粋な自己は存在せず、ただ関係のネットワークを忙しなく追いかけていくことになるのである。

 だが、そのように変質した孤独にこそ、私は文学の成熟した形があると考える。自己の純粋培養ではなく、雑多な菌の混じる原野における他者との相互嵌入。現実の複雑さにおびえることなく、むしろその複雑さを楽しむための文学。実存的な開かれがない以上、文学の開放もないだろう。


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by sibunko | 2018-08-13 11:59 | エッセイ

われらの時代

 私はいわゆる氷河期世代の人間だが、就職だけにかかわらず、生きること全般について苦労の伴う昨今であると感じている。もともと日本はムラ社会であり、その体質は西洋文化の輸入後も変わることはなかった。そのムラ社会が解体されていき、個人主義の傾向が強まっていく中、人々は自らを実存的に支えてくれる根拠を失っていった。日本人は思想の薄弱な民族であり、理論を自らの支柱とすることに不慣れな民族である。だから、社会が近代化していっても、個人はその近代化を理論として内面化することができず、いまだ前近代のムラ社会の心性のままだった。

 ムラ社会において個人の実存的な支えとなるものは、上下左右の感情的なつながりである。農村共同体では、年上の者を敬い、年の近い者とは友情を結び、年下の者をかわいがる。天皇の権威をあがめる。これは高度経済成長期に大量の会社人間が生まれても変わることはなかった。会社というものもムラにすぎず、会社の中での感情的なつながりや、会社に対する滅私奉公が人々の存在理由となった。

 日本では、超越的な存在に対して自律した個人が対峙し、自律した個人が超越的な存在へ信仰を寄せることで存在理由を見出すということが起きなかった。一部の宗教団体に所属する人たちを除いて、日本人にとって超越的な審級は空白のままだったのだ。天皇ですら超越者にはなりえず、人々は自らの存在理由をムラ社会や会社社会における感情的関係や役割に求めざるを得なかった。

 ところが、戦後教育は日本国憲法のもと、個人を最大限尊重する方向で行われた。個への侵害はプライバシーの侵害や名誉権の侵害として厳しく断罪されるようになり、生活へ科学技術の成果が取り込まれることにより、人々は他人との緊密な関係がなくても生活できるようになった。核家族化の進行から単身世帯の増大へと、人々はどんどん孤立していくようになった。

 だが、戦後教育は結局片手落ちだった。個人の尊厳原理は、防御的に働くことが多かったが、積極的に働くことが少なかった。個人の尊厳原理は個人を守ることはあっても、それによって自律した個人が生まれる方向性を持たなかったのである。かくして、人々はどんどん孤立していきながらもよって立つ自律した精神を獲得することが少なかった。そこで私たちはどんどん不安や焦燥を感じるようになってきたのである。

 現在、私たちが存在の根拠を獲得するためには、自己をただ無根拠に肯定するか、自律した個人を理論的に内面化するかのいずれかであると思われる。そして、現在私たちの大勢は自己の無根拠な肯定に向かっており、その肯定に成功した人間は緩やかな幸福感に満たされ、その肯定に失敗した人間は絶望の淵を歩く、そのような二極化が進んでいると思われる。

 私は自己の無根拠な肯定に失敗した人間であり、そうすると自らの存在根拠を獲得するために個人主義の理論化を行わなければならない。個人主義に依拠する理由として、二点ほど挙げようと思う。

 まずは、これだけ個人を尊重する気運の高い世の中でありながら、個人がただそれを受動的に守備にしか用いていないことへの反省。また、個人を尊重するという建前がありながら依然として会社組織などで個人の蹂躙が行われている事実に対抗する必要性。個人の尊厳原理は、個人の守備にしか用いられていないという問題と、現実の個人蹂躙を上手に隠蔽してしまうという問題を抱えている。それらの問題を解決するために、個人はもっと積極的に自らの自律性を養い、個人主義を積極的に内面化し、また隠蔽されながら依然として行われている個人蹂躙に異議を唱えなければならない。

 次に、上下左右との感情的なつながりが希薄になった現代、私たちは否応なく現実に直面せざるを得なくなったということ。私たちのことは原理的に誰も救ってはくれない。そうすると、他人の助力によって現実にフィルターがかけられるということがなくなって、現実がじかに私たちを襲うようになってくる。そして、私たちは現実の波をうまく乗りこなすことなくしては生きていけないのである。現実は極めて複雑で困難であり、現実を打開するためにはたえざる向上が必要となる。その現実と格闘する根拠となる強力な個人が必要とされてきている。そこで、個人の自律性が強く要求されてくるのである。

 何の疑いもなく自己を緩やかに肯定できる人間であるならば問題は少ない。だが、多くの人たちが自らの存在の根拠を見失っていく中、個人主義を意識的に内面化する必要がある。それは、個人主義を攻めの姿勢で用いていく方向性であり、現実と自律して戦っていく意思表明である。文学もまたそのような色彩をまとっていくと私は考える。つまり、複雑な現実との困難な戦いを倦むことなく遂行する自律した人間の文学が生まれていくのではないか。


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by sibunko | 2018-08-13 11:58 | エッセイ

南相馬日記

 転勤で南相馬勤務となった。南相馬というと、福島第一原発の北30km以内の都市である。だが、空間線量は福島市より低い。南に行けばもちろん線量がどんどん高くなるが、市街地では暮らしに特段の問題はない。

 南相馬で暮らしていると、空き店舗が目に付く。かつては大展開していたであろう大手小売店が、もはや営業を休止して戻ってこないのである。もちろん、営業を再開した店舗の方が多いわけだが、それでも空き店舗は目立つ。

 また、大型トラックや特殊車両の通行が非常に多い。国道に限らず、至る所に大型トラックが走行していて、工事が大量に進行中であることを示している。そして、コンビニに行けば除染作業員の姿が目に付く。

 この間近所の美容室に行って散髪をしてもらった。美容室のおばちゃんはしゃべりたがりで、いろんな話題で盛り上がった。事故の後群馬へ避難したこと。その後戻ってきて美容室を再開したこと。本心としては群馬にとどまっていたかったことなど。

 このように、南相馬での生活は、私に対して否応なしに震災と原発事故を突きつける。それによって営業を休止した店舗、その復旧のための工事の車両、その具体的な体験をじかに聞くこと。もはや震災と原発事故はメディアなどで収集された情報ではなく、「生活」そのものであり、じかに「体験」されるものである。

 最近の私にとっての詩の源泉は「生活」であり「体験」である。とすると、私の詩が実体験に基づけば基づくほど、そこには震災の爪痕が否応なく入ってくることになる。そこでは震災自体は語られない。ただ、震災後一定の時間がたってもなお残る震災の爪痕がどうしても詩の中に入ってくることになるし、震災の爪痕の体験は強度の体験であるため、詩の題材としやすい。

 好奇の対象や一つの歴史的事件として震災を作品化するのではなく、ただ自分の生活の中に否応なく入ってくる実体験として震災の爪痕を作品化すること。私はそのような震災―後―詩を書こうとしている。


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by sibunko | 2018-08-13 11:57 | エッセイ

語る資格について

震災時、私が沈黙した一番の理由は、自分に語る資格があるのか、という疑問だった。勿論それだけの理由ではないが、大した被害も受けていない自分が震災について語ってしまうことについて私はきわめて懐疑的だった。私は安っぽい震災詩が大量生産されてしまうことより、何よりも語る資格のない人間が安易に語ってしまっている資格違反の方が問題だと思っていた。これは詩を書くものの倫理に関わる問題である。
だが、事件の当事者のみがその事件について語れると考えるのは、一種の実在論であり、詩の虚構性とは相容れないのではないだろうか。事件について真実を語れるのはそれをより深く実際に体験した者のみであって、当事者でない人間は真実にうまく近接できない。表現というものが真実を語るのだったら、表現すべきなのはあくまで深刻な当事者のみである、私はそう考えていたのだったが、そこに私の勘違いがあったと思う。
詩はフィクションであって一向にかまわない。なにも震災の実体験を語るノンフィクションである必要はないのである。深刻な体験をしていなくて真実に迫れていない人間であっても、体験とは別の次元から収集した様々な情報をもとに、フィクションとして震災を題材にできる。そのことに何ら問題はないのではないか。逆に言えば、震災の当事者でないからこそ語れる真実というものもあるのだ。私は惨劇の当事者であるという地位を特権化してしまっていた。だが、詩のフィールドというものは誰にも特権がないフィールドであり、あらゆる虚構が許されるのである。その虚構の一端として震災が扱われても何ら不自然ではない。
似たような問題は例えば石原吉郎について語る場合にも生じる。凄惨なシベリア抑留体験を経ながら、その当事者でありつつ沈黙の方へ傾いたこと。当事者であり最も細密に語れるはずの人間が、抽象的・比喩的な表現に終始したこと。そのことによって、むしろ部外者はシベリア抑留について表現しづらくなってしまっている。語るべき人間が沈黙している以上、大して語るべきでない人間が何を語れるか。だがこれこそ上述した実在論の誤謬なのだ。詩はフィクションでありすべてが相対化されたフィールドであると考えれば、シベリア抑留について最近の若者が作品を書いても一向に差し支えない。むしろ、実体験とは違った、資料収集体験に基づく新たな詩編が生まれていくであろう。実体験や歴史的真実に特権性を与えることには懐疑的であるべきで、詩はもっと自由に書かれるべきだと思う。
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by sibunko | 2018-08-13 11:56 | エッセイ

朝の詩学

 朝はどんな時刻にでも既に始まっている。早朝でも真昼でも真夜中でも、すべての時刻に内包される原時刻として朝は既に始まっている。朝は一日が運動するにあたって、その駆動の弾性を持つ時刻としていつでも参照される。すべての時刻は一度朝に引き返して、朝に強く跳ね返されて次の時刻へと推移していくのである。

 私は早朝の暗い時刻に目を覚ますことが多い。朝の闇は夜の闇より長く感じられる。朝の闇は光を待機する闇であり、その待つという特性のため、来たるべき夜明けへの想念が先走っては挫けてを繰り返し、虚構的に持続時間が長引くのである。朝は夥しい虚構を生み出す時刻であり、その虚構の一部は「未来」や「可能性」と呼ばれる。

 やがて朝陽が少しずつ顔を出し、風景は暗いながらも形象を取り戻し、そして空や雲は朝焼けでピンク色に染まる。さらに太陽が威力を増すと、オレンジ色の強力な光が差してきて、それはいつの間にか透明で明るい光に変わる。鳥たちは鳴き始め、風景は明確な輪郭を語り出し、朝は厳正に執行される。このような自然の、特に光のドラマチックな移ろいは、多くの人には目撃されず、ただ風や木や川や道路や建物などが、黙して自らの表面で感じ取るだけのものである。

 朝とはこのように、人間の感知しないところで圧倒的な美を放出している自然の移ろいなのである。これは自然美全体のメタファーとは言えないだろうか。例えば人の足がめったに入らない山奥の秘境で、圧倒的な巨木が非常に美しい情景を作り出しているかもしれない。だがその自然美は誰にも鑑賞されることなく、ただ膨大に受け取り手のいない美を放出しているのである。そのような自然美は世界中に夥しくあり、朝のこの美しい光の移ろいは、受け取り手のいない過剰な自然美を象徴していないだろうか。

 朝、通勤のため駅のホームに立つ。電車はしばらく来ない。すると、覚醒した精神には様々な閃きが去来する。朝、この創造的な時刻に創造的な空白が入り込む。朝とはパブリックな生産の時刻ではない。パブリックには、生産というものは昼行われる。だがプライベートな生産は朝にもっともよく行われる。私的で独立した主体の文学的創造の時刻として、朝はプライベートな輝かしい時刻として私にとっては貴重である。朝はプライバシーが厳密に保たれた時刻だ。夜以上に朝のプライバシーはデリケートで他人の干渉を拒む。朝、世界は一人一人の人間に厳密に分有され、世界は一人一人の人間に孤独に所有され、人々は連帯の義務からひととき解放されるのである。

 朝、世界は未熟である。夜の闇はカオスのようでありながら、至る所に厳密な秩序の一端が垣間見えるが、朝はその夜の秩序を壊してしまい新たに何かを始めるので、世界は半分カオティックになる。何もかもが渾然と溶解してしまうかのような、何もかもが半壊してしまい、再構築にいそしんでいるかのような、そのような時刻で、朝も昼も夜も一堂に会して交互に支配権を譲り合う。

 この未熟な時刻こそ、人間が世界に介入することが許された時刻なのだ。世界の厳密な構成が完璧に人間を排斥する昼間、人間は世界の厚い皮の奥に入り込むことができない。世界の表皮がいまだに薄く、湿度を帯び、次々とほかの時刻に浸食されている朝という時刻こそ、世界の深奥に踏み込むことができる。世界とはただの浅瀬かもしれぬ。だが浅瀬を掘り起こすと更なる岩盤があり、掘削すると何から何まで出てくる。この朝という創造的な時刻、人は世界をひたすら掘削する。


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by sibunko | 2018-08-13 11:55 | エッセイ

詩人の死

 詩人が死ぬということはどういうことであろうか。2011年に、同人誌「kader0d」を一緒に立ち上げた友人である伊達風人が亡くなった。33歳だった。彼の詩は『風の詩音』という詩集にまとめられて、2012年に出版された。私はその詩集に栞文を寄せた。

 伊達の死後、私は彼に語りかけるようにして数編の詩を書いた。そのときどきの人生のステージにおいて、伊達が私に問いかけてくるものは違っていた。伊達はいつでも私に語りかけ問いかける言葉を所有していた。私は折々にそれに応える「欲望」を感じた。

 伊達の詩業は何らかの完成を示したわけではない。それは夥しい遺稿という形をとっていて、彼の詩作のキャリアの途上にあるものだった。彼は自らの詩に決着をつけないまま亡くなった。その未決であるという事実、これがまず重要だと思う。

 だが、彼が未決であるのはあくまでも彼の人生の次元の話のことである。彼について語る私たちの語りの次元からすれば、彼はもはやその死によって確定してしまっているのだ。例えば生きて実作を続けている詩人について、私たちは語りづらさを感じる。それはその詩人の詩業が確定していないからである。だが、伊達について語るとき、私たちは伊達の詩業を確定したものとして扱うことができる。この未決であるが確定しているということがまず重要な点であろう。

 だが未決であるが確定しているというのは、どんな夭折した人間についてもいえることである。夭折した詩人について言えることは、彼が明確に言葉を残しているということだ。彼が作品を創る者として、実際に作品を残しているということである。そこには彼の思想や感情が独自の様式のもと表現されていて、私たちは自分たちの創作と彼の創作とを共鳴させることができる。同じ詩人として、伊達と私は多くのものを共有していたのである。それは例えば繊細な感受性であったり、的確な言葉を選択する能力であったり、作品を構成する能力であったりする。

 伊達は未決であるがゆえに、多くの空白や可能性を有する。だが伊達は確定しているがゆえに、私たちは彼について語ったり、彼の可能性を推測することが容易に「許可」される。それゆえ、私は伊達がいったい何をしようとしていたのか、何を考えていたのかについて語りたがったし、それについて自分はどう応答するかについて語りたがった。私と伊達は同じ詩を書くものとして互いに共鳴し合うことができる。その共鳴する次元において、私は伊達の可能性を規定したり、伊達の可能性に応答したりしたわけである。

 さらに、詩人というものは大きな物語から零れ落ちた小さな断片を記述する者である。そして、詩人はその表現において自らの個性や特殊性をいかんなく発揮することが許された存在である。詩人というものはそもそもマイナーな内容を表現する存在であるといえる。そのうえ、詩人は自身もまた社会的にマイナーな存在であり、社会の中で取り立てて大きな発言力や権力を有しない。マイナーな存在がマイナーな内容を語る。これが詩人が詩を書くときの構造である。

 だが、詩人のようなマイナーな存在が掬い上げてくるマイナーな真実はときとして大きな衝撃力を持つ。マイナーな存在が掬い上げるマイナーな事実だからこその秘された衝撃力である。それは社会の主要な流れとはならないにしても、詩を読む人間の人生に大きな影響力をもたらすことがしばしばある。誰もが好きな詩の一節を口ずさんだりするものであるし、座右の銘として詩的な認識を覚えている人は多いだろう。

 伊達は未決のまま死んだが、その詩業は確定している。彼は詩人であるがゆえ、その言葉は権力を持たないかもしれないが、いつ不意に強烈な感銘力を特定の幸運な人にもたらすとも限らない。伊達の詩業は確定している以上、私たちはその詩の中から、そのような僥倖の一節を発掘することができる。その発掘行為が許されている。詩人が死ぬということは、詩人の言葉について私たちが批評することが寛大に許されるということであり、詩人の言葉から奇跡的な一節を発掘することが容易になるということである。そのことにより、幸運な読者の人生に影響を与える詩行は見つかりやすい。

 詩人はその死によって、未決のまま確定する。詩人は死によってたくさんの可能性を投げかけ、私たちはその可能性に応答することが寛大に許される。また、詩人は死によって批評が容易になり、私たちがその詩業のうちから幸運にも誰かに感銘を与える作品を見つけ出すことが容易になる。詩人の死とはそのような意味を持つのではないだろうか。


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by sibunko | 2018-08-13 11:54 | エッセイ

井上靖小論

ああ、遠いあの日のように烈しい夏がほしい。少くともあの日だけは夏だったのだ。雑草の生い茂っている崖っぷちの小道を、私は駈けていた。谷側の斜面には血のように赤い彼岸花が咲き、山側には雨のように蝉の声が降っている。そんなところを、私は駈けていたのだ。烈しい午下がりの陽は真上から照りつけ、生きているのは私と、私の行手に先回りして群がっている蜻蛉だけだった。村の人という村の人は、それぞれの家で、思い思いの恰好で死に倒れていたので、私は谷川の、羊歯と岩で囲まれた小さいインキ壺のような淵に、身を投ずるために急いでいたのだ。

 井上靖は小説家として有名だが、詩もたくさん書いている。新潮社から全詩集が出ているので、是非ご一読をお勧めする。

 井上靖の魅力は、何よりもその清潔さと紳士性である。文体の背後に透けて見える彼のたたずまいがとても端正なのだ。彼はエロスともタナトスとも無縁、もちろん消尽やら血なまぐさいものとも無縁、またユーモアや虚栄心、競争心とも無縁である。確かにそれらの要素は彼の内部に渦巻いていたのかもしれないが、それをきれいに統御する理性が強固だったと言える。

 井上靖の詩は、ある意味小説であり、ある意味エッセイでもあり、ある意味批評でもある。彼の詩を読んでいると、世の中に流布しているジャンルの区分けなどそもそも幻想にすぎなかったのだということがよくわかる。彼はストーリーを語るし、実体験を語るし、鋭い認識を提示する。虚構の言語の戯れを詩として提出することはなかった。

 彼の詩はあくまで彼の人生に根差しており、はっきりした参照点を持ち、はっきりした物語の起伏を持ち、丁寧に描写を行い、明確に批評を加える。それでありながら、なぜ彼の詩は詩であるのだろうか。それは彼が、「叙事的叙情」とでも呼ぶべきもの、また「批評的叙情」とでも呼ぶべきものを最大限活用しているからである。

 私たちは、小説を読むとき、その筋の展開に戦慄したり、その描写の巧みさに感銘を抱いたりする。これを私は「叙事的叙情」と呼びたい。井上はこの叙事的叙情を彼の詩の中に凝縮して表現するのである。また私たちは、批評を読むとき、その認識のアクロバットに戦慄したりする。これを私は「批評的叙情」と呼びたい。井上はこの批評的叙情も上手に凝縮するのである。

 そもそも叙情は詩に固有のものではない。小説には小説の叙情があり、批評には批評の叙情があり、それらの叙情は複数であるようでありながら本質的には一つなのではないだろうか。詩にも小説にも批評にも一つの叙情の流れが通底していて、井上は詩によくみられる類の叙情にこだわらなかった。むしろ、小説や批評によくみられる類の叙情を積極的に用い、それが実は詩によくみられる叙情と根が一つであることを熟知していた。だから彼の詩は、いかに小説や批評に似ていても飽くまで詩なのである。


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by sibunko | 2018-08-13 11:12 | エッセイ